ねこ猫ヒカル
第3部
【2話 幸せになる方法】
夕方になって、塔矢家の庭はオレンジ色に染まっていた。
「オレ、お手伝いする!」
母が庭の落ち葉を竹ぼうきで掃き集めていると、ヒカルがとてとてとやってきた。
「あら、ヒカルちゃん、いいのよ。お腹空いた?もうちょっとで終わるから、待って。すぐ夕飯の支度するからね。」
「ううん。オレ、まだお腹空いてないよ。」
「そう?」
「オレ、お母さんと同じ事がしたいだけ!」
ヒカルが元気よくそう言うと、母はあまりのヒカルのかわいさにきゅんとなった。
「まぁまぁ、じゃあ、そうね。ちりとりを押さえていてくれる?お母さんが掃くから。」
「うん。」
ヒカルはしゃがんでちりとりを構えた。上手に受け取れるか、初めての事にドキドキする。そのドキドキがついついしっぽにでてしまい、ぱたんぱたんと芝の上で踊った。
「ヒカルちゃんのしっぽは自由自在でまるでハタキみたいね。」
「ハタキ?」
「ほら、お母さんがよくお部屋の上の方をパタパタやっているでしょう?ヒカルちゃんの大好きな・・。」
「ああ、『ヒラヒラのパタパタ』ね。オレ、あれ大好き!スッゲー飛びつきたくなるの!」
ヒカルは思いだしてますますしっぽをくねくねさせた。
「オレのしっぽがハタキみたいに掃除できたら、お母さんみたいになれるかな?」
ヒカルは目をキラキラさせて母に聞いた。とりあえず、母の真似をしていろんな事ができるようになれば、目指す「およめさん」になれるのではないかとヒカルは思って、今日は一日母の後ろをついて歩いているのである。
「そうねぇ。お母さんみたいにはなれないかもしれないけど・・ヒカルちゃんはヒカルちゃんで十分かわいいから別にお母さんみたいになれなくてもいいんじゃない?」
母は優しく微笑んでそう言ったが、ヒカルはむすっとした。
「ダメだよ。お母さんみたいにならないと、およめさんになれないもん。」
母はきょとんとした。
「そういえば、さっきもそんな事言ってたわね。ヒカルちゃんはお嫁さんになりたいの?」
「うん。そしたら幸せにいつまでもいつまでも暮らしましたになれるから!」
「ヒカルちゃん、別にお嫁さんにならなくても幸せに暮らせると思うわよ?ヒカルちゃんは誰と幸せに暮らしたいの?」
「塔矢!塔矢に決まってるじゃん。」
ヒカルは即答した。母は予想していた通りの台詞が帰ってきて思わずくすくすと笑った。
「何がおかしいの?お母さん。」
「笑ったりしてごめんなさい。アキラさんと幸せに暮らしたいだなんて、本当にヒカルちゃんはアキラさんの事が好きなのねぇ。でも今だって幸せに暮らしているじゃない?お嫁さんにならなくても幸せでしょう?」
母の問いかけにヒカルは口をへの字に曲げた。
「うん・・。幸せだけど・・。もっともっと幸せになりたいの。ねぇ、お母さん、教えて。どんな事したらおよめさんになれる?」
ヒカルはしゃがんだまま、母のエプロンをくいくいと引っぱった。見上げてねだってくるヒカルに母はまたしてもときめいた。自然とヒカルの頭に手のひらを置いて、サラサラでつやつやの毛を優しく「よしよし」と撫でた。
「ヒカルちゃんはヒカルちゃんのままでいいのよ。ヒカルちゃんらしくいれば、どんどん幸せになるわ。」
表で塔矢家の門戸が開く音がした。かすかな音だがヒカルは聞き逃さない。
「あ、塔矢、帰ってきたかも。」
「あら?ほんと?」
「ただいま。庭で二人で何しているの?」
生垣のすき間からアキラがこちらを覗き込んでいる。
「ほら、やっぱり!」
「ほんとね。ヒカルちゃんはアキラさんの事には鼻がきくわね。」
「鼻じゃないよ。耳だよ。」
ヒカルはそう言って立ちあがり、アキラの方にくるりと向く。
「おかえり!塔矢!」
全身で嬉しい気持ちを表現して、跳ねるように走っていくヒカルの後ろ姿を見ながら、母は、
「ヒカルちゃんがやってきて・・もう5か月になるのね。静かな我が家がこんなににぎやかになって・・。」
と誰ともなくつぶやいた。なんだかもう何年も前からこうしていたような心地よい空気が塔矢家には流れていた。
いつもそこにある幸せがずっと続くと誰しも願う。のんきに構えている塔矢家には、いつまでもヒカルがこのままいられない事を知るよしもない。ヒカルだけが具体的な危機の理由をしらなくても、本能で感じ取っていた。
「伊角さん、知ってる?」
猫の国の内裏の控え室で和谷が伊角に話しかけた。週替わりで数十人いる王子の守りの者が帝のいる内裏の警備にあたる。今週はヒカルのところが当番で近衛隊長の伊角と副隊長の和谷が指揮をとっているのだ。
「オレ、佐為の君のさぁ、部屋にある暦。あれ、この前掃除の時ちらっと見たんだけど。」
「和谷、勝手に佐為の君の物を見たら怒られるぞ。」
「わかってるって。でもさ、ポイって出してあったんだもん。目についちゃって。そしたらさ、なんか十二月の所にでっかい赤丸がしてあるんだよ。」
和谷が、急に声をひそめるので伊角は思わず身を乗りだした。
「でも丸がしてあるだけで何も書いてなくてさぁ。なんだろ?って気になっちゃって。十二月ってなんかあったっけ?」
「いや・・どうだろうな・・。帝の誕生祭が十二月にあるからそれじゃないのか?」
「日付が違うんだよ。帝は十二月でも五日じゃん。佐為の君のは下旬頃なんだ。ちょっと日付までは覚えてないんだけど。」
「なんだろう・・。大掃除の日とか・・。」
「そんなので赤丸つけねーだろ。いくら佐為の君が年末の大掃除を鬼のごとくに仕切るの大好きでもさ。」
まじめに考えてよ、と和谷は伊角に怒った。
「真面目にって言われてもなぁ・・。まぁそんな細かい事気にすんなよ。大事な事なら佐為の君から直接お達しがあるだろうし。それにまだ2か月も先だろう?そんな事にこだわるなんて和谷らしくないぞ。」
伊角はそう軽く返して、お茶をすすった。渋めだがいいお茶だ。さすが警備控え室いえど帝の管轄内である。
「・・でもなんかひっかかるんだよなぁ・・。」
和谷はブツブツ言いながら、熱い茶をふうふうと息を吹きかけて冷ますのだった。