ねこ猫ヒカル
第4部
【1話 こたつの主】
吹く風も少しずつ冷たさが増して、塔矢家の庭に落ちる落ち葉も底がついてきた。
「寒くなったわねぇ。」
洗濯物を干し終えて、塔矢家の母明子がほうっとかじかむ手に息を吹きかけた。
「寒くなってきたら、ほんと猫ってこたつで丸くなるのね。」
居間に戻るとこたつにもっこりと山ができている。ヒカルが首まで入って寝ているのだ。
「このまま春までずっとこんな感じなのかしら・・。」
母はため息をついた。
最近ヒカルの様子はちょっとおかしい。なんだかだるそうに寝ころんでばかりいて、元気がない。ぼんやりとしていると思うと、何かを思いだして急に赤くなったり、独り言をブツブツ言っていたり、なんとも今までのヒカルらしくないのだ。
異様な行動は昼間よりも夜の方が激しい。特にアキラが帰ってくると、ヒカルはなんだか変に固くなっている。緊張しているというとおかしなものだが、アキラの行動にいちいちビクビクしているように母には見えた。
「ケンカしているようでもないし・・どうしたのかしらねぇ・・。」
母が気になってそれとなく聞き出そうとしても、ヒカルははぐらかすばかりでうまく教えてくれなかった。
「ヒカルちゃんが嘘をつくなんて事、今までだとありえない事だけれど・・何か隠してるのかしら・・。それにしても前みたいに一緒に買い物も行ってくれなくて寂しいわ。」
こたつの布団に頭だけ出して眠っているヒカルを遠巻きに見て、母はもう一度ため息をついた。
ヒカルはゴロゴロしながら、毎日アキラのことばかり考えていた。
『なんでかな。オレ、なんかここんとこおかしいんだ・・。塔矢の顔を見ると・・ドキンって大きく心臓が跳ねてキュウって締め付けられて、いても立ってもいられないような落ち着かない気持ちになっちゃう・・。』
事のはじまりは「あの日」からだということはわかっている。アキラとあの本に載っていた「もっと仲良くなれる方法」を試した次の朝から、なんだかおかしい。アキラの笑顔を見ればかぁっと頬が熱くなって、アキラの指先を見ればあの時その指がなぞった場所がほんのり色づく気がした。最近ではアキラの顔を思い浮かべるだけで、ぽぉっと思考が揺らぐ。
『あん時、きっと塔矢がなんか魔法かけたんだ。そうに決まってる。オレが塔矢と離れている間も塔矢のこと思い出すように・・・。そうじゃなかったら・・寒さのせいだ。寒いからこんなにだるくてぼんやりするんだ。頭の中が塔矢のことばっかりで・・一人でドキドキして・・そんなんで疲れてだるくなるんだ。きっと。』
ヒカルはこたつの暖かさに身を任せて、夢の世界に入っては、アキラのことばかり考える脳を休めようとした。しかし、夢の中でもあの晩の出来事がベースになったようなドギマギする夢ばかり見るために、ヒカルは毎日ぐったりしていた。
覆い被さってくるアキラの体。射抜くような真剣な目。優しく服を脱がす手、肌をなぞる指・・・どれか一つでも脳裏をよぎれば、パタパタと次々にカードが開かれる。自分では見たこともないはずなのに、アキラに触られて気持ちよさそうな顔の自分のカードまで開くと、全身の血が熱くなり、一気に恥ずかしいかな、足の間がもぞもぞするのである。
『オレ、変だよ。絶対変!前はこんな・・熱くなることなんか一回だってなかったのにさ、塔矢にあれされてから、すぐに固ーくなったり熱ーくなったりさ・・・。そうなっちゃうと、恥ずかしくてお母さんの前に出られないし、こたつの中で寝たふりするしかないよ。もう!』
ヒカルはそんなこんなで毎日こたつの中で、体に巻き起こる突然の嵐をおさめるのに、じいっと待つしかなかった。しかしそれを待っている間、ゴロゴロしているだけでも結構疲れるのだ。
アキラが帰ってくるとヒカルはピンと耳を動かして、がばっと起きあがった。アキラが居間に姿を現すと、ヒカルの動きが固まる。
「また寝てたの?」
アキラはあきれ顔だ。
「誰のせいだよ!」
ヒカルは心の中で思ったが、言えないでぷいっとそっぽを向く。
大体アキラがこんな体にしたくせに、アキラの方は全然普段と変わらない生活で平気そうで、ヒカルはムッとする。
お互い「あれ」をするのは初めて同士のはずだ。なのに、どうしてアキラだけは変化がないのだろうか。アキラの一挙手一投足にドキドキして身体に変化を起こしている自分が馬鹿らしい。
『初めてって塔矢は言ったけど、本当は初めてなんじゃないんじゃないのかなぁ・・・。だって、オレと違いすぎるもん!オレがこんなに苦労してるのに、塔矢はなんともないなんて、ずるい!!』
ヒカルはギロッとアキラを睨んだ。
「な、なんだ?」
「なんでもないよ!」
「何、イライラしてるんだ?進藤・・最近おかしくないか?」
「なんでもないったら!」
「ずっとこたつにばかり入って・・具合でも悪いんじゃないのか?」
アキラはすっとヒカルの明るい前髪に手を差し入れる。
「ひゃっ!」
ヒカルはふいの事に変な声をあげて、飛び退いた。
「そんなよけなくてもいいだろ。」
「塔矢が急に触るからびっくりするだろ!」
「熱を診ようとしただけだよ。」
アキラは苛ついているヒカルをもてあます。最近何を言っても喧嘩腰に言い返してくるヒカルにアキラはどう接していいのかわからなくなっていた。こうして少しでも触れれば「キシャー」と牙をむいてくるくせに、離れていると寂しがってすり寄ってきたり、なんともつかみ所がない。
「進藤、何か病気・・・とかじゃないよね?熱っぽい?」
「熱・・っぽい時はある。」
「寒気はする?」
「血の気が引くような気持ちの時・・ある。」
「だるい?」
「だるい!」
ヒカルは答えながら、アキラの表情を見る。アキラは難しい顔をしていた。
「風邪の前兆かもしれないね。・・それか・・何かボクにはわからない病気とか・・。」
「わからない病気?」
「猫特有の病気とかさ。」
「猫特有?」
猫特有の病気だといわれるとそうかもしれないと思った。大体アキラは平気で自分だけ熱くなったりするなんておかしな事だ。二人の違いと言えば、人間と猫。「猫特有」というのは当てはまるかもしれない。
「オレ・・どうしよう・・。」
ヒカルは何かとんでもない病気とかだったら・・と考えて、顔色が悪くなった。しかもこんな事は今までになったことがない。と言うことは今までかかったこともないような病気なのではないかと、どんどん考えが怖い方向に動いていくのだった。