<<夜のつぶやき>>
過去のつぶやき その2


**目次**
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第7回 夢のクレヨン王国と原作:12月から3月の旅 (98.3.1)
第8回 クレヨン王国は心の鏡 (98.8.29)
第9回 ありがとう!夢のクレヨン王国 (99.2.5)

第7回:夢のクレヨン王国と原作
12月から3月の旅
(3/1)



  大変、不定期な影の国。間、2ヶ月あくかと思えば、こうして1週間で更新と言うこともある・・。まさに私のわがままコーナー・・。本当は書きたいこと、いっぱいあったりするんですが、時間が無かったり、書くのやばいかなって言う内容だったり(^^;)。後、本当は他のコーナーも工事中のところもやりたいし、クレヨン王国の原作の紹介もやりたいんですが、突発的に思いつくポスペとかに走ってしまって、すみません。原作の紹介も3月に1つは更新しますー。(おそらく)何にしようかな・・。(まだそこから考えとるんかい!)
 なかなか原作の紹介も、かしこまっちゃって、どう書いていいのか分からないんです。どれもおもしろいし、実際に読んでもらった方が絶対に楽しめるし、筋があらかじめ分かっちゃドキドキがないし、どう紹介していい物か・・。試行錯誤を繰り返していますので、何かいいご助言があったら教えて下さい。こういう事を載せてほしいとか。

 では、今日は久々にアニメのクレヨン王国と原作の話を交えて、書きましょう。
 このところ長野五輪にうつつを抜かしていたのと、超インドアな私が珍しく、日曜とか出かけていたこともあり、「夢のクレヨン王国」のあらすじを大幅に遅らせています。平日はその疲れで早く寝ることが多く、遅くまで起きていたときにはチャットしていたため(^^;)、更新はおろか、アニメの方も見るのが遅れがちになっていたのです。
 しかし、アニメのクレヨン王国、勢いが無くなりませんね。原作を上手に料理していて、大変毎回おいしいです。12月には原作ではさすがにクライマックスの部分が多いので、オリジナルな内容が入りましたが、うまくまとめてありました。骸骨達の決闘のシーンは、原作ほど恐ろしくはなかったものの(あの原作の「俺は1月に死んだ。だから**なんだ。」とかの台詞はちょっとやって欲しかった気も・・。)死に神との決闘はどうしようって感じでした。勝てるのかなーーって。ちょっと死神、本気出してたし。クラウド格好良かった・・・。
 1月は楽しみにしてた雪だるまの話。原作では最後砂糖を食べ過ぎたアリに、散らかし癖のために胃薬と間違えて毒を渡してしまい、アリさんは全滅してしまいますが、アニメでは平和的終わり方でしたね。アニメはやはり平和的なので、ちょっと悪癖が直るためのきっかけとしては弱いような気もしますね。まあアニメは総合的で長い話だし、だんだん分かればいいのかな。それに原作のシルバー王妃も悪いところのない完璧な王妃になったら元気がなくなって、「新十二ヶ月」の旅が始まったわけだし。
 1月の旅で意外にすばらしかったのは、だるまの回ですね。あの時は自然の描写が異様に綺麗で、(いや、いつも綺麗ですが)竹が特に素晴らしかった・・。だるまも超プリティだったし。あの回は何度も見ました・・。
 2月の旅は、これまたなかなか・・。27日アップしたあらすじ22話の分で、ようやく野菜の精達12人全員があらすじナビをつとめました。うまい具合にナビに出てなかったキャラ(レンコポッチとトマトマト)が出てきてくれて助かりました。このあらすじナビも毎回悩みます。話を生かせる話し方の人じゃないといけないし・・。あと出てないのは、メインではクラウドか・・。クラウドはとっておきにしておこう・・。本当はシルバー王女もあらすじナビはさせないつもりだったのですが、(キャラ紹介の方に出ているので)キャラ紹介の方がなかなか更新できないのと(^^;)、王女でないとこれはダメだなと思った話だったので使いました。たまにあらすじがおもしろいですって感想いただくと、「がんばろう!」と思いますし、とっても嬉しいです。結構誰が読んでるって保証なんかないから、たまに不安になったりします・・。
 で、2月の旅についてですが、「十二ヶ月の旅」の月へどうやって行くんだろう・・って、ずっと思ってて「もしかして、なし?これが最大の問題かも・・。」と思っていたのですが、うまいこと・・(;;)←感動の涙です。河童との決闘もごまかさず、一人一人うまくオチが付けてあって、なかなか時間短いのに見せる試合でしたね・・。トマトマトすごすぎ。ファイトあるー。
 3月の旅に今日から入りますが、一回目は「にまぁ、にまぁ」のカゲロウさんみたいですね。なんか予告見ただけでも わくわくしちゃいます。あの話大好きなんです。あと3月は「ホント桜」の話もありますね。「ホント桜」もかなり好きなんで、3月は手に汗握る話ばかりになりそうです。ホント桜が付いたら、やっぱ4月には青井青太も出てくれるんですね。グリンピース乗せるのかなぁ。(原作読んでない人にはわけわからん書き方・・でもはっきり書くとネタばれになるし・・)うーん、すごそう!あれがアニメの絵で見られるなんて!
 ミュージカルの方でも、ホント桜のエピソードあるんですけど、それもすごい良かったんで、アニメの方も期待します。

 3月上旬に、クレヨン王国の新刊もでるそうなので、今から楽しみが多いですね。
今度はどんなお話なのかしら・・。


第8回:クレヨン王国は心の鏡
(8/29)

とてもとても久しぶり。半年以上ブランクのある影の国へようこそ。久しぶりだけあって、ちょっと今回は長いし、ものすごく語っている(^^;)
 アニメ「夢のクレヨン王国」は、「クレヨン王国の12か月の旅」「クレヨン王国の新十二か月の旅」「クレヨン王国シルバー王妃花の旅」の3編を総合してお話としてつなげてきたわけだが、この元々は別々だった物語をうまく一つにまとめ、見事にクレヨン王国の世界を作ってきた。
 この3つの話の中にオリジナルのキャラも交え、上手に表現されていて、本当にすごいと1年の放送を通して思う。
 とりわけすごく印象深かったのは、まだあらすじ書けてないのだが、「羊」の話。手紙を無に返す羊の話。 あれは原作も何ともいえず悲しい話だったのだが、アニメの方のあの表現力は脱帽ものだった。
 手紙が手紙であることから解放する羊。それは宛名が消えてしまって、行く宛のない使命を全うできない手紙。その運命は、重大な任務を果たせない悲しみ、そして永遠に終わることのない苦しみ、どうすることもできないむなしさ、そういうものがねっとりとからみついている。その姿はけなげであり、しかし哀れである。「もういいよ。」といってやって楽にしてあげる。それが羊の役目。
 自分がその手紙だったら苦しみから解放してくれる羊は神様のように見えたかもしれない。
 しかし、シルバー王女たちは違った。
「たとえ、苦しくても私は私でいたい。私じゃなくなるのはいや!」と言う。このシーンには正直言って驚いた。王女はじめ、アラエッサ・ストンストンも同様に口をそろえてそういう。
 苦しみから逃げない。どうしようもない思いを胸に抱えた自分を否定しない。自分は自分であることに誇りを持ち、自分であろうとするからがんばれる。つまり王女たちは自分と言うものの存在を、自分の中で目を逸らさずじっと見ている。
 これはさらっと流せばそれまでのことだが、よく考えれば、自分がそこまで自分をもてるか、自信がない。今までの人生、私は私でいられるような努力をしていただろうか。どこか私は私であっても私ではない、そういう気がしていた。弱い自分や情けない自分、そういうものから目をそらして気分的に楽に生活をする、そういうことばかり考えてはいなかったか。「もういいよ」と言ってもらえる瞬間を待ってはいなかったか。
 シルバー王女たちは旅ということから、強さを身につけたのだろうか。それとも自分を認めていたからこそ旅ができたのだろうか。なににしろ、この回の話はじわっと心を包む感じであった。
  
 よく「原作のコーナーを充実させてください」というご意見をもらって、「がんばらないと!」と思う。
 しかし、原作の紹介は難しい。「クレヨン王国シリーズ」は物語の中でも高度な物語でこれをネタばれしない程度に紹介するというのは至難の業である。
 「QUICK JAPAN」と言う雑誌に福永先生のインタビューが載ったときに、講談社の担当の方のコメントがあって、「私は人からクレヨン王国ってどんな話ときかれると「とりあえず読んでください。」と答えている。」と言うのがあった。それはまさにそう言うべきである。「とにかく読め」と言う感じである。
 それは、読めばわかるからである。そして読まなければわからない。あらすじを説明しても、ここがおもしろいと言っても、それではなにもわからない。そしてあらすじも本当は言うべきでない。
 物語は川の流れのように一定の長さで流れていて、橋の上から少しずつ川を眺めても川の水がどんな温度かはわからない。一緒に上流から流されないと本当のところはわからないのである。
 そして、物語、ことに「クレヨン王国」は「心の鏡」である。物語を読もうとして本を手に取り、ページをめくる。そうすると物語の文字が目を通して頭に入り、物語の流れにはいる。その時、心は鏡のようにスクリーンとなり、文字から得た映像、想像をそこへ映し出す。その想像は同じものを読んでも人それぞれの映像であり、そして、同じ文字を読んで、心の鏡に映してもある人はどこかがぴかぴかと光り、心を揺さぶっても違う人は同じところではぴかぴか光らないかもしれないのである。
 たぶん、心に映るときに、誰もがその心を普段使っているから、いろいろ傷が入っている。その傷に物語が反応してその人の中で光るのかもしれない。だから、自分が一番感動した物語は一番自分の心の傷を光らせたものなのかもしれない。心をとめたキャラが自分の心を一番映してしていたキャラなのかもしれない。だから、とりあえず物語の中に足を踏み入れないと、自分がどこでぴかぴか光るかは自分しかわからない。
 そして、そのぴかぴかは少なからず自分を作る手助けになり、自分を見つめる眼鏡になるだろう。
 また、歳を取って知らない間に心に傷が付くと、またそれは大人になって読み返したときに、前とは違うところに心惹かれたり、気づかなかったところでぴかぴか光る。だから、いつ読んでも新鮮で、暖かいのである。それは時には自分さえ知らなかった自分を教えてくれるかもしれない。
 心が優しくなったり、世界が美しく思えたとき、そこはどこでもクレヨン王国。クレヨン王国は心の鏡を通して確実に自分と繋がるのである。
 そして、もっと自分が好きになれるように栄養をあの色鮮やかな国から送ってくれるのである。

 というのが、「どうして私はクレヨン王国に魅せられるか。」「クレヨン王国を人にうまく勧めるにはどうしたらいいか」と言う問答の結末であった。中にはどうしてもクレヨン王国が好きになれないとか、クレヨン王国を読んでもなにも思わなかったとか言う人もいると思う。それは、きっとその人は幸せな人なのかもしれない。心になにも傷がなく暮らしてこれたのか、クレヨン王国の中に自分はいなかっただけの話である。そういう人はまた違う人の物語の中に自分がいるのであろう。

なので、これから「クレヨン王国シリーズ」をいかに紹介していくか、よく考えながらできるだけがんばりたいと思う。でも、本当は紹介する前に「とにかく読んでください。」と言っておく・・。

 そして、羊のことを原作の時以上に考えさせたアニメ「夢のクレヨン王国」も、心の鏡と言えると思う。

 アニメの方では死に神を封印したので、今度から第2部として新シリーズにはいる。「クレヨン王国の王様の変な足」が題材になっているような気配だが、(掲示板では直接書かなかったけど、ここではキャラ名書いていいか・・)猫のプーニャ、天使のシャカチックとユックタックはでるようだが、肝心の「おしっこぼっちゃま」こと、「シースルダーベ」の名前が入ってこない。シースルダーベがいないとなるとどうなるのか・・見物な気がする。結構プーニャと彼の心の揺れ動きは読んでいておもしろかったけど・・。

 この第2部でまたどんな光を見せてくれるか、楽しみである。

第9回:ありがとう!夢のクレヨン王国
(2/5)


 
 テレビアニメ「夢のクレヨン王国」が最終回を迎えた。
 98年9月から始まったこのアニメは当初は1年で終わるはずだったが、好評であったため、第1部の「死神編」を一年やった後、「天使編」が始まった。
 死神編は原作で言うところの「クレヨン王国十二か月の旅」「クレヨン王国新十二か月の旅」「クレヨン王国シルバー王妃花の旅」の3作にオリジナルな話もたまに織り込んで、進めていった話である。それは実に原作の雰囲気をうまく映像化していた。
 天使編は、プーニャと天使のシャカチック・ユックタックが加わると言うことで、当初「クレヨン王国王様の変な足」が元になるかと思われた。が、まあ、結果的にはキャラクターだけで変な足の要素はなかったわけだが、「青い落ち葉」は、歌として使われ、プーニャと天使たちの心の交流あり、部分的にはやはり「変な足」が入っていた。ウサギの尼御前や、黒猫の男装の麗人が出てこなかったのは寂しかったが・・。
 天使編は、第一部の死神編は原作に忠実にやった分、そこで回った町々を再び訪れ、スタッフがもっと遊びたかったことをやっていった感じで、それはそれで楽しかった。
 しかし、原作ファンとしてはちょっと天使編は物足りないような気がしていた。もっと原作のエピソードを違う形でもいいから入れて欲しいなぁと思っていた。
 そして、年が明け、とうとう1月も終わりに近づき、最終回となった。
 私は最終回という物があまり好きではなく、好きな作品ほど最終回間際1ヶ月になると、とたんにそれを断つ傾向にある。ビデオには撮っておくが、見ないでいるのである。まあ、現実逃避というやつか。
 しかし、世の中(?)では最終回最終回と言われるし、アニメ雑誌にも最終回の文字が・・。そうなると気になってきて、誘惑に負けて最終回の前の回から見てしまう(馬鹿・・)。
 今回も例に漏れず、その状態で、実は12月からクレヨン断ちしていた(^^;)しかし「17月の旅W」は見てしまい、最終回もリアルタイムではなかったが、家族が寝てからビデオで見た。
 お城に帰る王女一行。天使たちはまた時計に入る。その後の登場人物たちの様子。5ヶ月後の天使たちの罪が解かれた事をお祝いするパーティ。天使たちはノビノビウェィの森に帰っていき、クレヨン王国が永遠に平和で美しい国であるように祈りを込める。ゴールデン王様はシルバーが20歳になったら王位を譲ることを発表し、夜が明けて次の朝、シルバー王女の姿がどこにもない。20歳になるまで、旅に出ることにすると置き手紙があり、旅の中でシルバー王女はいろいろな人に会い、いろいろな経験をして、そして12の悪い癖を12の良いところに変える事にすると決心がつづられていた。
 シルバー号に密かに乗り込むシルバー王女とアラエッサ、ストンストン。夜明け近くの秘密の旅立ち。 この構図を見たときになにか、ここからが本当のシルバー王女のための旅なのでは?と思った。
 今までは、死神編では両親と国のため。天使編では、いたずらに悩まされる国民とそして最後はプーニャと天使たちのため。彼女はいつも使命を持っていて、その責任感から成長したとも言えるが、もっと余裕のある旅を、自分を見つめる旅をしたかったのでは?と思った。
 他人のために一生懸命事はとても大事だが、シルバー王女はもう充分、他人を思いやる心が身に付いた。アラエッサとストンストンは大事な友達だと、河童の国で気がつき、本当に大事な物は何か。口先だけの思いやりでなく、本当に心を突き動かす「大事」という事柄を彼女は身をもって知り、そこから大きな「愛」を持つ事を学んだように思う。
 13歳の彼女にとって、今からが精神的に大きく成長するときである。
 12歳以前の彼女はお城でわがままいっぱいに育っていた。キラップ女史やプーチ夫人にお作法や勉強を教えてもらっても、彼女には何かが違うという思いがあったような気がする。
 旅に出て、彼女は教えられる知識より、感じられる知識の方が大事だと知ったのだろう。それはいくら絵本で、「空は青い」「花は綺麗」と教えられても、実際に見る空の青さは視覚ではなく、体全体で感じる青さだと言うことが、そして、花は綺麗でもそれは姿形でなく、その花びらの微妙なグラデーションや、香り、花だけでなくその茎や葉のみずみずしいにおい。周りの草が風になびく音。それらすべてをすべての感覚で知り、そうして初めて「綺麗」という認識ができる。心から綺麗と思える、そういう「心」を知ったのだと思う。
 それはまさに、福永先生が言われる所の「自然に親しむ子供を育てる」教育がいかに大事かという事の現れだと思う。アニメはどっちかというと(まあ原作もギャグなところが多いが)ギャグ的なノリで話を進めて行っている感じはあっても、実際の所、一つ一つでわからなくても全体を通して、ちゃーんと、福永先生の心を投影していたのだなぁと、最終回で強く感じた。
 そして、最終回。最後のあのシーン。  いままで、「夢」の中のクレヨン王国であった話が、急に「現実」に還る。
 子供が描くクレヨンの絵。生まれて一番最初に、カラフルで自分の見た美しいことを描こうとするとき使うのが「クレヨン」かもしれない。クレヨンは子供の夢を実際に目に見える形にし、子供はその楽しさにクレヨンを離そうとしない。でも、子供はいつしか大人になり、クレヨンをさわることさえいつの間にかなくなる。あれほど大事にしていたクレヨンは知らぬ間にどこかに消えている。
「それは、クレヨン王国に帰ったから。」「クレヨン王国で暮らしているから」
 目に見えなくなっても、幼き日のクレヨンは、どこかで暮らしている。そう。私たちの心の中に。クレヨン王国はどこにでもあり、誰もの心の中にきっとある。
 綺麗だなと思ったら、そこはクレヨン王国。福永先生も幾度となくそうおっしゃっている。
 私たちの周りどこにでもクレヨン王国はあり、そしてそれを守るのは、私たちである。
 本当に大事な物が何か。かけがえのない、自分をいつも黙って見守ってくれていたのは誰なのか。それは自然であり、地球であり、クレヨン王国なのである。
 シルバー王女の旅はまだまだ続く。それはシルバー王女自身の旅でもあり、そしてテレビを見ている子供たちの旅でもある。シルバー王女が20歳になるまで旅を続けるのは、テレビを見ている子供たちにも20歳になるまではシルバー王女の様に、風の音を聞き、草の匂いを嗅ぎ、おひさまの日差しに顔を上げて、本当に大事なことを見つけなさいというメッセージかもしれないと思う。
 アニメの最後のいつもと同じエンディング。現実の中にクレヨン王国はあると言ってくれたあの最後のシーンのおかげで、いつもと同じはずのEDがとても特別なように思えた。
 ありのままに生きることは、とても難しい。でも、ありのままに生きられるよう、自分をもっと見直し、同じ血潮の流れている自然にもっと近づき、かつて人がそうであったように、知識でない感覚を教えてもらおう。何も感じないようにしても、時は過ぎゆくが、他を感じなくすることで、自分自身の心も忘れていやしないか。そんなメッセージがあの詩に、音楽に込められているように感じ、そして、これは最終回ではない。ここから何かは始まっていくのだとさえ、思った。
 アニメ化をする際に、元々原作ファンの人の間では、結構心の葛藤があっただろう。 「クレヨン王国は「夢」の話じゃない。現実なのだ。それを『夢のクレヨン王国』だなんて・・。」そういう意見を始まった当初はよく聞いた。
 しかし、アニメのスタッフはそんなことは、はじめからわかっていたのだ。夢ではなく現実だと。そしてそれは巧妙に着実に仕組まれており、最後の最後でその秘密を明かす。そしてこの1年半の意味を考えろと静かに問いただす。
 このスタッフのクレヨン王国に対する愛と理解の深さに「まいりました」と言うしかない。そして「ありがとう」と。
 まだ、私はあらすじを4月の旅までしか書いてないので、これからまだまだ楽しみが残っている。またじっくりと見返して、続けて行くつもりである。