Can You Keep A Secret ?

第四話 気持

「……あ、あれ?」

 授業終了のチャイムと同時に、詩音の席に行こうと立ち上がった信だったが、折悪しく先生に呼びつけられた。前回の試験のことについて、説教を受ける。早く終わってほしくて生返事をしていたのが災いして、かえって長引いてしまった。
 ようやく解放されて振り向くと、教室にはもう詩音はいなかった。

「詩音ちゃんなら、もう出てっちゃったよー」

 きょろきょろと周りを見回す信に、唯笑が声をかける。

「そ、そっか。ありがと」

 聞くや、弁当を抱えて自分も外へ飛び出そうとする。その腕を智也がつかんで引き止めた。

「待てよ、信」

「じゃ……邪魔するな、智也!」

「気持ちはわかるけど落ち着けって。そう四六時中追いまわしてたんじゃ、かえって嫌われるぞ」

「そうだよー。詩音ちゃんは、静かに本を読んでるのがいちばん好きなんだから」

 確かにそのとおりだった。信も、自分のやっていることが裏目に出てばかりということは自覚していた。
 けれど、接点がない以上、無理やりにでも作るしかないではないか。

「押してダメなら引いてみなってな。信のほうから距離を置けば、意外と進展があるかもしれないぞ」

「……ほんとにそう思うか?」

「いいや、全然」

「すぐに忘れられちゃいそうだよねー」

 親友と以前好きだった娘の無邪気で残酷な言葉に打ちのめされ、信は肩を落としてため息をついた。
 智也が笑いながら、その背中を叩く。

「まあ、そう落ち込むなって。ちょっと離れて冷静になったほうがいいのは、確かだと思うぞ。……というわけで、今日は購買に付き合えよ」

「購買? 弁当があるのに、なんで」

「双海にかかりっきりで、お前の情報網も地に落ちたな。今日からまた、小夜美さんが来てるんだぜ」

「小夜美さんが? マジで?」

「ああ、おばちゃんがまたちょっと調子悪いとかで。今回はほんとに短期の代打らしいけどな」

「へえ……」

「だからさ、挨拶行ってこようぜ。な」

「ああっ、智ちゃん、信くんダシにして、ほんとは自分が小夜美さんに会いたいだけなんでしょう」

 ふたりのやり取りを聞いていた唯笑が、膨れっ面で口を挟んでくる。

「何云ってるんだよ。俺はただ久しぶりだから挨拶を……」

「じゃあ、唯笑も行くよ」

「……わかったよ。信、行こうぜ」

 結局、信は強引に購買まで拉致されることになった。
 教室を出るとき、信は未練がましく空の詩音の席を振り返った。

     *

 少し遅くなったので、購買の混雑は一段落していた。藍色の長い髪を後ろで縛った女性が、微笑んでいるのが見える。

「えーと、お釣りははちじゅうえんでいいんだっけ。え、違う? ひゃくにじゅうえん?」

 ……相変わらず、釣り銭を間違えているらしい。
 智也たちは苦笑しながら近づいた。

「小夜美さん、お久しぶり」

「おーっ、智也クンに唯笑ちゃん、信クンも。久しぶりね。いらっしゃいませ……って、なによ、三人ともお弁当持ってるじゃないの」

 笑顔から不審顔、そして一転しかめっ面へと、相変わらず子供のようにくるくると表情が変わる。智也は再び苦笑しながら答えた。

「今日はご挨拶に来ただけですから」

「挨拶だけしてもらったって嬉しくないよー。買い物してくれなきゃ」

 そう云いながらも、小夜美はもう笑顔に戻っていた。

「せめてお土産ぐらい持ってきなさいよ」

「唯笑の手製弁当でよければ、パンと交換で……」

「あ、智ちゃん、ひっどーい」

「あはは。相変わらず仲いいのね。……そうだ、せっかくだから、ここで食べていく?」

 購買の奥を指しながら、小夜美が提案した。奥には智也が伝票整理を手伝ったテーブルがあり、少し狭いのを我慢すれば、4人座れないこともない。

「いいんですか?」

「うん。この時間なら、もうお客さん、ほとんど来ないしね。狭いけど、どうぞ」

「じゃあ、お邪魔しまーす」

     *

「それで、おばちゃんは大丈夫なの?」

「うん、ちょっとタチの悪い風邪にかかっちゃってね。インフルエンザかも。だから、一週間ぐらいは休んでもらおうと思って」

「そうなんですか……。小夜美さんは、大丈夫なんですか?」

 唯笑が心配そうに眉を寄せて、小夜美のほうを見た。

「だぁいじょうぶ。あたし、昔から風邪とか引かないから」

 笑顔でそう答えた小夜美に対して、何かに納得したように智也が深く頷いた。たちまち小夜美が不機嫌になる。

「と〜も〜や〜クン、今、『バカは風邪引かない』とか考えたでしょう」

「えっ……いや、俺は別に……」

「失礼だよ、智ちゃん」

「だから、云ってないって」

 そんな風に談笑しながら食事が進む中、信はひとりぼんやりと箸を動かしていた。いつの間にか会話がやんで、3人の視線が集中していることにも気づかないほどに。

「……ん、んっ? なんだ?」

 ふと顔を上げた瞬間、3人と目が合って信は驚いた。
 智也と唯笑が同時にため息をつき、小夜美が首を傾げる。

「どうしたの、信クン? 元気ないね」

「えっ? そ……そうっすか? そんなことないですよ」

「ふーん。じゃあ、考え事?」

 ずいっと小夜美が身を乗り出してきて、信の顔を覗き込む。高校生が使うものとは明らかに違う香りを身近に感じて、信は狼狽した。

「こんな美人が隣にいるのに、上の空なんて許せないな」

「自分で云うかい」

 突込みを入れたのは智也だ。信にはそんな余裕はない。
 小夜美が体を離して智也にあかんべをすると、信はほっと一息ついた。

「聞いてやってよ、小夜美さん。こいつさ……」

「智也! てめえ、余計なこと云うなよ!」

「いいじゃなーい。大人の女の人の意見も参考になるかもよ」

「小夜美さんがオトナかどうかはともかく、まあ意見は色々聞いたほうがいいな」

「もう、いちいち可愛くない子ね。……で、なんなの?」

 結局、信は洗いざらい白状させられた……というより、智也と唯笑がしゃべってしまった。
 小夜美は茶化すでもなく、興味深げに相槌を打ちながら聞いていた。信は憮然として横を向いたままだ。

「……ふーん。なかなか難儀な娘を好きになっちゃったわね」

「そうなんだよ。それなのに、こいつ、押しの一手でさ……」

「なるほど……」

 頬杖をついて、思案顔になる小夜美。
 信は本気でアドバイスを期待していたわけではなかったが、そうして親身な風を見せられると、つい身を乗り出してしまう。
 ややあって、小夜美が口を開こうとしたとき。

「おーい、誰かいないのかー?」

 店先で誰かが呼ぶ声がした。声からして、教師のようだ。

「あ、ごめんなさーい」

 慌てて小夜美が席を立って、応対に出る。
 智也たちが時計を見ると、もう昼休みは残り5分強しかなかった。

「やば。そろそろ戻らなきゃ」

「あ、ほんとだ」

 そそくさと弁当箱を片付けて、3人は立ち上がった。気分転換にも相談にもならなかった信は、思わずため息をつく。
 外へ出ると、教師の城ヶ崎が牛乳を買いに来ていた。

「なんだ、お前ら、こんなところで」

「あ、友達なんですよ」

 小夜美が笑顔でフォローを入れてくれる。本来、購買の中に生徒が出入りするのは禁止されているのだ。小夜美に免じてか、城ヶ崎は特に説教はしなかった。

「霧島とか? ……まあいい。勉強も教えてやってくれよ」

「小夜美さんが?」

 思わず、智也が声に出して驚いてしまった。慌てて口をふさぐが、小夜美は不機嫌に、城ヶ崎は不審そうに振り向いた。

「何を云ってるんだ。霧島はここを次席で卒業してるんだぞ」

「……え?」

「次席……って上から2番目?」

「マジで?」

「……やめてください、先生。昔のことですから……」

 智也たちの注視を浴び、小夜美が照れながら云った。
 城ヶ崎がニヤニヤしながら答える。

「単純な計算ミスがなければ、首席だったのにな」

「……だから、昔のことですって……」

 今度は本気で赤面して、小夜美はうつむいた。
 そのことになぜか智也たちが安心感を抱いたとき、昼休み終了のチャイムが鳴った。

「ほら、お前ら、さっさと教室に戻れ」

「はいっ。じゃあ、小夜美さん、またね」

「ありがとうございましたぁ」

 手を振って見送る小夜美。信の後姿を見て、その眉をほんの少しひそめた。

     *

 教室に戻り、詩音が隣の席にいることを信は確認したが、その顔を見ることができなかった。
 授業が終わって、詩音が図書室に去っても、追いかけなかった。智也たちの誘いも断り、誰もいなくなった教室にひとり座り続けた。

(何やってるんだろうな、俺は……)

 確かに智也の云うとおり、頭を冷やしたほうがいいのかもしれない。そう考えながら、ようやく席を立った。
 自然と図書室に向かいそうになる足を無理やり方向転換させ、階下へ降りる。
 購買の前を通りかかると、小夜美がダンボール箱の山と格闘しているのが目に入った。

「……小夜美さん、何してるんですか?」

「ん? ああ、信クン……きゃあぁっ!」

 信に気を取られた瞬間、バランスが崩れてダンボール箱が倒れ落ちてきた。あわや小夜美が下敷きになるところだったが、信が駆け寄って支えて事なきを得た。

「だ、大丈夫ですか?」

「……うん、ありがと。助かったぁ」

 頭をかきながら、小夜美は照れ笑いを浮かべた。
 彼女の仕草にはいつも人をほっとさせる何かがあり、今の信にはそれが胸に染み入るようだった。

「在庫整理ですか? よかったら、俺、手伝いますよ」

「ほんと? 助かっちゃうなあ。……あ、でも、さっきの話だと、図書室に行く時間なんじゃないの?」

 いたずらっぽく小夜美が微笑む。けれど信には苦笑いを返すしかできなかった。

「……そうしちゃいそうだから……なんか、ほかのことやっていたいんですよ」

「ふーん……」

 一瞬、小夜美は憂い顔を見せたが、信が気づく前に笑顔を浮かべた。

「よーし、じゃあ、きりきり働いてもらっちゃお! さあ、運んで運んで!」

「うっ……やっぱ失敗だったかも……」

「男に二言はなぁい」

 発破をかけられた割には、仕事量はさほどのものではなかった。15分ほどで片付けを終えた信は、額にうっすらと浮かんだ汗を拭いながら、小夜美に声をかけた。

「終わりましたよ、小夜美さん」

「ありがと。じゃあさ、お茶でも飲んで帰ろっか」

「……え?」

「おねーさんが、お礼に奢ってあげる。ね、いいでしょ」

 信の返事も待たず、小夜美は歩き出していた。
 信はまだ学校に――図書室に未練があったが、振り切って小夜美のあとを追った。

     *

 学校の近くの喫茶店にふたりは入った。珈琲をふたつ注文する。

「あたしん家、すぐ近くだから、うちでもよかったんだけど、それじゃムードないしね」

 からかうように笑いながら小夜美が云うと、信は赤くなって曖昧な返事をするだけだった。その様子を見て、小夜美は喉を鳴らして笑う。

「信クンって、意外に素直なのね。智也クンなんかより、全然可愛いかも」

「やめてくださいよ。いつもはこんなんじゃないんですから」

「へー? じゃあ、今日はどうして?」

「そりゃあ……小夜美さんみたいな綺麗な人と一緒なら……」

「あ、嬉しいこと云ってくれるなあ。智也クンにも、信クンの爪の垢煎じて飲ませてやりたいわね」

 そんなことを話しているうちに、珈琲がやってきた。一口飲んで、小夜美が少し真剣な表情を浮かべる。

「さて、と」

「……?」

「昼間はごめんね。なんか話の種にしただけみたいで」

「あ……いや、そんな……」

 気にしてくれていたのか、と思うと、素直に嬉しかった。在庫整理も、こうしてお茶に誘ってくれたのも、気を使ってくれたからなのだろう。久しぶりに信は明るい笑顔を見せた。

「気にしないでくださいよ。智也の奴なんか、本気でネタにしただけなんだから」

「そうかな? あれで結構心配してるんだと思うよ」

「あれでですか?」

 そう答えてはいたが、信にもそのことはわかっていた。
 だが、智也に気を使われることは、今の信にはかえってつらかった。……なぜなら、智也こそが恋敵であったから。
 再び暗い物思いに沈みそうになった信は、頭を振って思考を追い払い、小夜美のほうに向き直った。

「正直、俺、どうしたらいいかわからなくて……。やっぱり智也たちの云うとおり、距離を置いたほうがいいのかな」

「……」

 すぐには答えず、小夜美はまた一口珈琲を飲んだ。
 カップを下ろし、優しい微笑を浮かべる。

「信クンのやりたいようにやればいいと思うよ」

「……え?」

「何が正しいかなんてやってみないとわからないし、ひとの気持は、もっとわからないよ。だったら、自分の気持に正直になるのが、いいんじゃないのかな。あのとき、こうすればよかった……なんて後悔するのは、最悪だもんね」

「……」

「思いやりは大切だけど、自分の気持を殺しちゃいけないよ。あたしは、そう思う」

「小夜美さん……」

 そう、俺はそうしたかったんだ。彼女と、一緒にいたかった。ただそばにいたかった。
 その気持に嘘をついて、いったい、何が伝えられるんだろう。
 信はすでに立ち上がっていた。

「ありがとう、小夜美さん。俺、やっぱり学校に戻ります」

「そう。……頑張れよ、少年」

 微笑んで、小夜美はVサインを出した。笑顔で頷いて、信は駆け出していく。
 頬杖をついてその姿を見送る小夜美の瞳には、深い憂いが浮かんでいた。

「自分の気持に正直に……か。言葉にするのは、簡単だよね。信クン、君は偉いよ」

 グラスを人差し指で軽く弾く。キン、と硬い音が響いた。

「頑張れ、少年……」

 もう一度、小夜美は呟いた。

     *

 学校まで駆け戻った信は、下駄箱のところで足を止めた。
 図書室まで行く勇気がどうしても出てこない。彼女の邪魔をしないよう、ここで待っていよう……そんな言い訳じみた考えが浮かんだ。
 邪魔だというのなら、こうして待っていること自体、迷惑なのではないか。
 再び気持がくじけそうになる。
 だけど、俺は一緒にいたい。詩音ちゃんと一緒にいたいんだよ!
 それが許されないなら……今度こそ、俺は……。
 そのとき、階段を下りてくる足音が聞こえた。
 一見華奢なのに、両手に抱えきれないほどの本を抱えて歩いてくる少女。
 信の姿を認めて、彼女は目を丸くした。

「……稲穂さん」

「あ、ああ。今、終わったの? お疲れ様」

 我ながら不自然だと思いながら、精一杯の笑顔を浮かべる。
 それに対して、彼女はいつもの無表情――では、なかった。

「私を……待っていてくださったのですか?」

 西日が差し込み、その表情ははっきりとはわからなかったが、微笑んでいるように信には思えた。それだけで十分だった。
 明日からは必ず毎日、購買でパンを買おう。信はそう決意した。


to be continued...


2001.3.27

あとがき

一応、『笑顔』と対になっているお話ですが、「小夜美ねーさんは暗算が苦手なだけで、ほんとは頭いいんだよ」ということを強調したくて作ったようなものです(^^ゞ。
この設定は私の妄想ではなくて、かおるのマキシシングルに収録されているミニドラマで語られています。興味ある方は聴いてみてください。
ご感想など、いただければ幸いですm(__)m。

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