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◆お問合せ◆
●スタジオ
TEL:092-573-8321
●倉橋
TEL:092-573-8472
  

所在地◆

福岡県大野城市野城市筒井1-1-3

倉橋富子フラメンコスタジオ「プラスエラ」福岡
  

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  ◆ 倉橋 富子
 
   1968年、フラメンコを始める。
 当初より九州を拠点として舞踊活動をする傍ら、’77年より10年以上に渡り度々上京してマルハ・石川のもとでフラメンコはもとより舞踊手として基本的なテクニックを身につける。’74年に初めて渡西して以来、’82年より毎年渡西し、エル・ファルーコ、コンチャ・バルガス、ファルーカ、カルメリージャ・モントーヤ、アンヘリータ・バルガス等に師事する。
 さまざまなアーティストのもとで学ぶうちにバイレヒターノに出会いフラメンコの原点に触れ、自分のやりたかったフラメンコを確信する。
 又、アナ・マリア・ロペスにブレリア・デ・ヘレスを習ってからは、さらに深く彼らのコンパスを感じるようになり、ますますバイレヒターノに魅力を感じ、ひたすらそれを追い求めている。
 1999年にフラメンコの聖地であるヘレスのペーニャ・ブレリアより外国人として初めて正式に招聘され、ギタリストの田代耕一他、島サユリ、阿比留由美らとの公演を行って以来、2006年、2007年、2011年にもここでの公演を成功させた。
 2009年には舞踊活動40周年となる公演を、福岡、小倉、鹿児島にて行った。
 2013年スタジオ公演では島サユリ、阿比留由美らと久々に3人揃っての新曲バンベーラに挑戦し成功を収めた。
 2013年末から2014年3月にかけて精力的にライブ活動を行い、2014年7月にはタブラオ“カサ・デ・エスペランサ”(東京)に出演。

 
現在、福岡、北九州、久留米に「倉橋富子フラメンコスタジオ・プラスエラ」を開設し、精力的に教授活動を続けている。





  ◆ 島 サユリ
   小学校3年生の時に、倉橋富子の踊りに出会い、すぐに門下生となる。
高校生の頃より倉橋のアシスタントを始め、卒業してからは本格的に講師として、又舞踊手として倉橋のグループで活動を始める。
 1994年に初めて渡西し、マロノ・マリンに師事する。
以後、度々スペインへ渡り、エル・ファルーコ、アナ・マリア・ロペス、ファルキータ、コンチャ・バルガス、アンヘリータ・バルガス等に師事する。
 1999年、2006年、2007年、2011年にヘレスで行われた公演に出演。
 スタジオ公演、ライブ活動に出演。パルマ、カンテでバックも務める。2014年7月タブラオ“カサ・デ・エスペランサ”(東京)に出演。

 現在は「倉橋富子フラメンコスタジオPlazuela」の講師として、後輩の指導にあたりながら舞踊手としても活躍中である。
   


  ◆ 阿比留 由美
 
   1979年、倉橋富子に師事しフラメンコを始める。
以後10年間はOLをしながらスタジオに通い、その間リサイタル、ディナーショー等に参加。
 その後はプロとして活動を始め、度々渡西し、エル・ファルーコ、アナ・マリア・ロペス、ファルキータ、コンチャ・バルガス、アンヘリータ・バルガス等に師事する。
 1999年、2006年、2007年、2011年にへレスで行われた公演に出演。
 スタジオ公演、ライブ活動に出演。パルマ、カンテでバックも務める。2014年7月タブラオ“カサ・デ・エスペランサ”(東京)に出演。。
 

現在は「倉橋富子フラメンコスタジオPlazuela」の講師として、後輩の指導にもあたる。

  田代 耕一
   1966年、フラメンコギターを始め、勝田保世、ディエゴ・デ・モロン等に師事する。
 東京のタブラオ・カサ・デ・エスペランサを設立して、自らギタリストとして活躍し、フラメンコの普及に務める。
 現在「倉橋富子フラメンコスタジオPlazuela」、「ペーニャ・プラスエラ」を主催し、数多くのスペイン人アーティストを招いて公演を行い、共演している。
 1999年以降のヘレス公演では、フラメンコには最も厳しいヘレスの人々の前で演奏し、高い評価を得た。

スタジオ公演、ライブ活動に出演。2014年7月にはタブラオ“カサ・デ・エスペランサ”(東京)出演。(「パセオ」にインタビュー記事掲載予定)
 

●日本フラメンコ協会会報32号より

 1999年2月20日、プーロ・フラメンコの巣窟ヘレスの「ペーニャ・ラ・ブレリア」が今年の催し物の一環として放った第一弾のタイトルは「デルソル・アルスール」、一見ヘレスでは珍しくもないバイレ・フラメンコの催物だがその出演者はわざわざ日本から公式に招いた、4人の日本人達と4人のヒターノ達であった。ヘレス市長が、彼ら4人の日本人達を迎え入れて行われた記者会見の場面に始まり、当日のライブに至るまで、新聞は大きな紙面を割き、ラジオ、テレビもその模様を伝えた。その4人の日本人達とは、福岡の田代耕一、倉橋富子、島サユリ、阿比留由美の4人である。
 
●パセオ・フラメンコ 2000年5月号より一部抜粋

 ペーニャ、というスペイン語は、何もフラメンコにだけあてはまるわけではない。ペーニャとは「同好会」「愛好会」であり、同じ趣味を持った人たちが集まって運営するものである。
 フラメンコのペーニャ、いわゆるペーニャ・フラメンカについて、フラメンコの辞典「ディクシオナリオ・フラメンコ」では次のように定義している。「フラメンコ芸術の愛好家の協力により結成された組織。その第一の目的はフラメンコのカンテ、バイレ、トーケを更に高め広めることにある」。このディクシオナリオによれば、ペーニャは60年代初頭にアンダルシア地方で発生し、スペイン全土から海外へと広まったという。
 フラメンコのペーニャは世界中にたくさんあるが、ヘレスのペーニャは特別な存在だ。一流と言われ、大きな舞台を世界中で踏んだアーティストでさえ「ヘレスの」ペーニャに出演したことを誇りに思う。その特別さの理由として、現地で暮らし、フラメンコの「現場」を経験してきた俵は言う。「ヘレスはプーロ・フラメンコの巣窟です。ヘレスのペーニャがプーロ・フラメンコを追求する厳しさは、スペインで真にフラメンコを愛する者なら誰もが知っています。微塵も妥協も許されないのです」
そんな厳しいヘレスの「ペーニャ・ブレリーヤ」に、99年2月、九州・福岡の踊り手の倉橋富子とギタリストの田代耕一、倉橋の生徒で踊り手の島サユリ、阿比留由美が公式招待された。重要なのは「公式の」招待であるという点だ。「外国人だから」採点を甘くする、ということはない。主宰のアナ・マリア・ロペスに、これは大きな賭だったのではないか、と質問すると、「彼らのフラメンコを見てきて、きっと大丈夫だと思ったから」と答えた。ヘレスに招待された彼らは、ヘレス市の新聞第一面を代々的に飾った。 
 


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