活動

 後藤静香の活動は実に多岐にわたっています。
 明治39年(1906)、東京高等師範を卒業後、「長崎県立高等女学校」の教諭在職中、郡の教育会の依頼により、休日を利用して県下各町村の社会教育の指導をしていました。
 また、その頃の「修養団」との出会いをきっかけに、大正 7年(1918)上京、「希望社」を創立、機関誌「希望」を出版し、その雑誌と各地への巡講を通じて、さまざまな呼びかけをしていました。

 その運動をおおまかに分けると、以下のようなものでした。
《教育実践》
  社会教育 / 勤労教育
《社会福祉》
  盲人福祉 / 救ハンセン運動 / 援護活動
《生活改善》
  国民常食改善
《文化活動》
  ローマ字運動 / エスペラント運動 / 発音式かなづかいの実践

 これらの提唱は、「希望」ほか、何種類もの機関誌によってなされましたが、理論だけではなく、具体的で、また熱意のこもった実践運動でありました。勤労教育の実践のためには、女学校、中学校、印刷学校も創設されています。

 社会福祉のための活動は、点字を覚えての点訳奉仕の奨励などもあり、私も父の書斎に点訳板が置かれ、深夜にコツコツと穴をあける音がしていたのを覚えています。(それは膨大な量の点字本になり、点字図書館に寄贈されていたのを、父の死後知りました)

 救ハンセン活動、北海道のアイヌ民族の救援活動、その他ロシアやドイツなど他国の避難民や児童の救済運動なども、機関誌を通じて現状への理解を訴え、奉仕や募金を求めました。読者の大半はつましい生活をする一般庶民でしたが、夫々少額ながら喜んで募金に応じたようです。

 また、どこかに大きな災害があると、ただちにその救援にのり出しています。救援の呼びかけと行動は、迅速でしかも具体的な指示のもとに行われました。たとえば、関東大震災の年のこんな記録があります。

《関東大震災と一大救護活動》 
 大正11年 9月 1日 関東大震災(死者91,344人/全壊焼失464,900戸)
 希望社は幸いに災禍を免れ、各種救護活動の一大展開をはかる
 1)「希望社震災時報」を発行
 2)9月5日、上野に救護本部を置く
 3)食料品、日用品、衣類などを原価の5分の1で頒布(無料配布を避ける)
 4)9月8日、上野山奉仕掃除隊をつくる
 5)汚物の消毒、ハエ10匹1銭で購入、環境衛生の風潮をつくる
 6)上野と深川に勤労女学会を設立
 7)救護の手を本所、深川、神宮外苑、丸の内にのばし無宿の労働者を世話
 8)東京市の依頼で、ふとん17.000枚を短時日でつくりあげる
 9)その他震災後の整理復興のためにあらゆる努力奉仕をする
                   (後藤静香選集第十巻、年譜より)


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