ねこ猫ヒカル
第3部

【4話 ふってわいた教本】

 ごそごそとヒカルは塔矢家二階の書庫を漁っていた。さすがの家事完璧星人な母であっても、この書庫に掃除に入るのは半年に一度程度だ。それ故に結構ほこりっぽい。
「上の方のはとりにくいよなー。なんか台があるといいけど・・。」
 一瞬碁盤を台にすることを思いついたが、アキラに
「神聖な碁盤を踏み台にするなんて!」
と説教くさく叱られそうで、すぐに却下した。
 天井までがっしりとした金具で組み立てた書棚には数え切れないほどの本が並んでいる。アキラの子供の頃の絵本から、父の昔の囲碁の本まで多種多様である。ヒカルはよくわからない人間界の情報はここから得ていた。といっても主に絵本からだが。
「もう下の方のはみんな読んじゃったし・・・。上の方の読んでみたいなぁ・・。もっとなんか塔矢と仲良くなれる方法のきっかけくらいつかめるかもしれないし・・。あの隅の横に倒れてるところのならとれるかなぁ・・。」
 ヒカルはつま先で懸命に背伸びをし、書棚の棚につかまってバランスをとりながら、もう何年も触れられていない一角を狙った。
「と、とれた!っと・・うわぁっ!」
 ヒカルが一番下の本を抜き取ろうとすると、一緒に上にあった本も横に立っていた本もどさどさっと落ちてきた。
「いてて・・。」
 ヒカルの腕や肩にも何冊かの本がぶつかって、じんじんする。
 本の雪崩をかき分けて、ヒカルはよいしょと起きあがった。手に取った目当ての本は、料理の本だった。
「ちぇっ。絵本じゃないのかー。大きくて分厚いからオレが読める本だと思ったのになー。」
 古びた本はなんだか懐かしいような匂いがする。
「そっか。佐為の書物倉庫の匂いと同じだ。あそこもいっぱい本や巻物があって、こんな匂いしてたな。」
 ヒカルは懐かしくなって、ふふっと笑った。
「人間界も猫界も同じ所も違うところもいっぱいあっておもしろいよな。塔矢とは人間とか猫とかっていう違いはあんまり感じたことないけど、でも、今回は結構悩んじゃうよ。塔矢はぎゅーもちゅーも適当にしてるし、オレが風呂にわざと入りに行くと、そそくさと出ちゃうしさ。オレ、塔矢に避けられてんのかな。なんでかなぁ・・。好きだって言ってくれるけど、態度が好きとは反対だし・・。複雑すぎてわかんねぇ・・。人間って!」
 ヒカルは思いだしてモヤモヤしてきたが、今は昼間でアキラはいないし、ぶつけるところがないのでふうっと息を吸い込んだ。
「そうだよ。怒ってても悩んでてもしょうがないから、ここで本を探してるんだった。さっき落ちてきた中にオレが読めそうなのないかなぁ・・。」
 ヒカルは、床に散らかった本をかき集めた。
「ん?」
 何か目にはいる。分厚くて内容が固そうな本に混じって、一冊、この書庫では見たことがないような写真付きの本があった。
「なんだ、これ?」
 ヒカルは手にとって、ぱらぱらと中を見ている。最初は「?」と思っていたが、徐々に内容を理解した。
「こ、これだ!!」
 ヒカルは、その本を大事に大事にほこりを払って、胸に抱えた。
「この本の通りにすれば、塔矢もオレに夢中かも!」
 何もしなくてもアキラはヒカルに夢中すぎるほど夢中だが、アキラの素っ気ない行動に納得いかないヒカルはこの本を手本にすることに決めたのである。

 今日のアキラの仕事はなかなかのハードスケジュールだった。朝から対局があって、その後は取材。そして、指導碁が一つ。家に着いたのは夜の9時過ぎだった。
「ふぅ・・。遅くなったな・・。進藤怒ってるかもしれないな・・。」
 アキラは駅からの道中、ふうとため息をついた。
 ヒカルが自分に甘えてくるのを今日はどうやって誤魔化そうかと、後ろ向きな思考ばかりが浮かんでくる。
『進藤、最近風呂も一緒に入ろうとしたり、朝ボクの布団に移動してきていたり・・寂しいのかな・・。でも、それを突っぱねるのもキミのためなんだ・・。キミを大切にするための・・ボクの防衛手段なんだ・・。それをわかってくれというのもおかしいしな・・。かといって、ボクがしたいように触れたら、進藤はボクを嫌いになるかもしれないし・・・。』
 ジレンマに悩まされながら、アキラの足取りは重くなる。
『帰りたいのに、帰りたくない・・。進藤に会いたいのに、会うと困る・・。ボクはどうしたらいいんだろう・・。』
 一歩一歩進めばどんなにゆっくりな歩みでも、目的地にはいつか着く。十五回目のため息をついたところで、塔矢家の立派な門が見えてきた。
 ぐるぐるな思考のまま、アキラは分厚い木の門をぎぎっと押す。慣れているので重さは普段感じないのに、今日はやけに重い。囚人のように鉛の鎖でもつけられているのかと思うほど、足が重い。
 しかし玄関は目の前だ。空気の抜けた風船みたいにしょぼしょぼな気持ちで、
「ただいま・・。」
とドアをガラガラと開けた。
「おっかえりー!塔矢!」
 アキラの床を這うような気分の中、ヒカルがハイテンションで玄関にかけてくる。
「た、ただいま。進藤。」
 ヒカルはささっと玄関のたたきで正座した。
「進藤?」
「おかえりなさい。と・う・や。」
 ヒカルはまるで旅館の若女将みたいにアキラを迎えるために三つ指をついて、深々と頭を下げた。突然のうやうやしげな行動にアキラは目を点にする。
「ど、どうしたの?」
「やだなぁ。ダンナ様をお迎えする時にはこうするんだよ。」
「ダ、ダンナ??」
「だって、塔矢はオレの飼い主でぇ、ご主人様でぇ・・恋人でしょ?」
 アキラは突然玄関先で発せられる「恋人」の言葉に異様に反応して、慌てて靴を脱ぎ、ヒカルの口を押さえた。そして周りを見渡す。
「だ・・誰も聞いてないよな・・。」
 ほっとするアキラの横で、ヒカルは次の行動に出た。
「えっと、こういう時に言う言葉は・・。」
 苦笑いするアキラそっちのけで、ヒカルはなにやら口の中でブツブツつぶやいている。何かを反すうして確認しているようだ。
「よし!」
 ヒカルはこれでばっちりとばかりに、アキラの首に腕を回して、ギュッと引き寄せ、片足をぴょんと曲げた。
「塔矢ぁ。」
 甘えた声でアキラの顔を向けさせる。アキラの顔のよく見えるベストポジションで見つめ、ヒカルは言った。
「ねぇ、塔矢はこの後、ご飯にする?お風呂にする?」
「え?」
「それともぉ・・オレ?」
 アキラの頭が真っ白になる。
『今なんて言った?ご飯にするか・・お風呂にするか・・それとも・・オレ?進藤?え?どういう意味なんだ?進藤をいただくって事・・か?!』
 アキラは壊れた腹話術の人形になった。かくかくと顎は動くが、言葉がうまく出てこない。かろうじて「進藤」という言葉だけ聞き取れたヒカルは、にっこり笑いながら、
「やだなぁ。塔矢ったら。そんなにオレがいいの?エッチさん。」
 「エッチさん」だなんて産まれて初めて言われて、アキラは「進藤をいただく」という意味を想像して動揺している上に、火に油を注ぐ状態になった。カァッと血がのぼってどう反応するのが正しいのかわからない。
「うわぁぁぁ。」
 逃げるが勝ちだ。アキラは火照る顔を両手で挟んで、カバンはほっぽってバタバタと廊下を走って逃げた。
「あーん。待ってよ!塔矢ぁ。」
 ヒカルも負けずに後を追う。
『あんなに塔矢、びっくりして!おもしろーい。作戦成功だね。』
 ヒカルは「きしし」と笑って、
『でも、お風呂かご飯かオレかって、お風呂とご飯はわかるけど、「オレ」ってなんだろ。オレと遊ぶって事かな?』
 案の定意味がわからずにヒカルは言ってみたらしい。ヒカルは、
『まいいや!あの本の通りにしたら、いいおよめさんになれて、さらに塔矢も驚くし!いい本拾ったなー。』
と、書棚で拾った本をバイブルにしていく事を決めるのだった。

             
  

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