ねこ猫ヒカル
第3部
【5話 お布団で早くぅ】
「さぁ、寝よう。」
アキラはわざとつっけんどんに言った。
「はーい。」
ヒカルはそんなことは気にしないで、元気に手を挙げて返事をする。ニコニコしているヒカルをアキラは冷や汗を流しながら疑い深そうに眺めた。
『進藤・・また何か企んでるんじゃ・・。』
企んでるとはすごい言いようであるが、確かにヒカルの今日の行動を見れば、そうも思いたくなるだろう。アキラが夕飯を食べている時も、じっとアキラを見ていたかと思うと、ブツブツと何か、
「こういう時の例はなかったよな・・。」
とか、
「次はどうするんだっけ?」
とか、わけのわからないことをつぶやいては考え込み、アキラが見ていることに気付くとにこっと笑ってくるのだ。
風呂にも一緒に入りたがるのでは・・とアキラは警戒していたが、
「オレ、復習しなきゃだから。」
などと言って、別々に入ったが、アキラが風呂に入っている間に何を復習していたのか気になる。
まだ両親の前でベタベタしてこないだけましだが、現在ヒカルのためを思って禁欲生活を保とうとしているアキラにとって、過度なスキンシップはまずい。固く施錠したはずの触れたい気持ちを溶け出させてしまう事になる。
「進藤。枕を運んで。」
「うん。わかった。」
ヒカルはアキラから枕を二つ受け取った。そば殻の枕は、中のそばが砂のように中で移動して持ちにくいので、ヒカルはぎゅっと力一杯抱っこして持っていく。意外と抱きついたりしてこないなとアキラはヒカルを見送って、少し冷え込んできた秋の夜のために、奥にしまってある毛布を2枚引きずり出した。
『抱きついてこないな・・だなんて、ボクは本当は期待してるんだろうか・・。進藤に抱きついて甘えて欲しいって、心のどこかでは思っているんだろうか。でも・・でも・・ボクの身勝手な願いを進藤に押しつけちゃいけない。ボクが進藤を抱きしめる時、ボクはいつものボクではなくなってしまうから・・。そのボクを進藤が恐れることにボクは耐えられない。』
理性的で紳士的で優しい王子様像をアキラと重ね合わせているヒカル。いつも童話の本を持ってきては、
「この王子様はまるで塔矢みたいだね。っていうか、塔矢が王子様だよね!かっこいいなー。」
とうっとりしているヒカルの姿を見ているだけに、本能的で乱暴ともとれる扱いをしそうなもう一人の自分をアキラはかたくなに隠さねばと思っていた。ヒカルが本当にそんな王子なアキラだけを望んでいるかということまでは、十五歳のアキラには気が回らなかった。ただ、純粋でけがれのない無邪気なヒカルを、自分の中に湧き上がる熱い愛情を押しつけてけがしたくない一心なのだ。
『ただ、春の小春日のように暖かでゆっくりとした時間が流れればいい。それでボクは幸せを充分感じられるはず・・。』
そう自分に言いきかせながら、アキラは毛布をかついで振り返った。
「ねぇ〜?塔矢ぁ。」
二間続きの襖に隠れて見えないが、随分甘えた声を出している。
「塔矢ぁ、早くぅ。」
「?」
アキラが怪訝な顔をして、覗くと、そこには布団の上に横たわるヒカルがいた。ただ横たわっているだけではない。足は斜めに崩し、おしりをぷりっと強調させるように少し浮かせて、腰で「く」の字に折れて上半身はこちらに向かっている。不自然に開いたパジャマのシャツの前からヒカルの透き通るような肌がちらりと見える。例えるならば、昔緒方さんと芦原さんが鼻息を荒くして見ていたグラビアアイドルの水着写真のようだ。確か砂浜でこんな格好で胸の谷間を強調して横たわっている写真をちらりと見たことがある。
ヒカルにはボインボインな胸こそないが、そのおしりは男子にしてはむっちりしているし、しっぽが生えているから余計に強調されて、目がクギづけになる。シャツからのぞく肌もなんだかちょっぴりなまめかしい。
アキラは、電源が切れたみたいにぴたっと動かなくなって、持っていた毛布をどさりと落とした。
「およ?」
ヒカルはアキラが毛布を落としたので一瞬素に戻りかけたが、
『あ、ダメだ。ちゃんとお手本どおりにやらなきゃ。』
と、わざとくねくね腰としっぽを振ってみる。そして、なんでそうやるのかわからないが、本通りにヒカルは爪をせつなげな表情で噛んで、もう一度言ってみた。
「塔矢ぁ、早くぅ。」
多少棒読みだが、アキラには効果があった。ブルブルと身体全体が震えている。
自分のやっているのが悩殺スタイルとは知らないものの、アキラがいつも見せないような反応をするので、ヒカルは面白くてしょうがない。
『すげー。塔矢の目がオレをずっとまっすぐ見てる!そらしたりしない!あの本、ほんとすごいなぁ。魔法の本かも。』
ヒカルは調子にのって、体を起こし次のポーズをとることにする。四つん這いになって、アキラを見上げる。だらんとパジャマのシャツが垂れ下がり、2つはずしたボタンのせいで胸元は大きくぱっくりと口を開く。
「一緒に寝よう?塔矢ぁ。」
わざと顎をひいて上目遣いにアキラ見る。そして、これまた意味がわからないが、お手本どおりに唇をタコのようにつきだしてみる。本には「こんなポーズで見上げられたら・・誰でもイチコロ!」と書かれていた。とっておきの技だ。
「し・・し・・。」
「し?」
「進藤!!」
何かがはじける音がした。アキラが急に切羽詰まった顔でヒカルに突進してくる。
「うわぁっと!」
ヒカルを抱きしめたかと思うと、そのまま布団にダイブする。ヒカルはいきなりの事に目を白黒させたが、ぎゅうぎゅう抱きしめてくるアキラの腕に、
「作戦成功?!」
と、単純に喜んでいた。
「久々のアキラからのギュウー。嬉しい!塔矢、大好き!」
ヒカルは嬉しくて嬉しくてアキラにきゅうっと抱きついて、頬にすり寄り、しまいにチュッと頬にキスをした。首に腕を回したまま、アキラの顔を見上げようとすると、なにやら生暖かい物がヒカルの顔に落ちてくる。
「ん?」
ヒカルは手の甲で落ちてきたものをキュッとぬぐった。なんだかぬるっとしている。ぬぐった手を見てみると真っ赤になっている。
「ぎゃあ!なにこれ!?」
ヒカルが叫んでアキラを見ると、アキラの鼻から赤い液体がぼたぼたとさらに落ちてきた。
「塔矢!大変!どっかぶつけた?」
アキラも口の中に広がる鉄の香りに、ハッと我に返って反射的に鼻を押さえる。鼻血だ。鼻血なんて幼稚園以来である。
「どうしよう、どうしよう。」
ヒカルは突然の緊急事態にオロオロしている。
「舐めたら治るかな?」
ヒカルはかわいい舌を伸ばして、
「んー。」
と、アキラの鼻を舐めてきた。アキラはその柔らかい舌の感触にくらりとめまいを覚える。血の気が引きかけていた煩悩に一気に血が巡り、鼻血が出ていなかった方の鼻からも血がたらりと垂れてきた。
「うわぁ。余計にひどくなっちゃった!ごめん。どうしよう!・・そうだ。お母さん呼んでこよっか?!」
「えっ!」
母を呼びに行くというヒカルを止めようとしたが、くらりと軽い貧血をおこしてアキラはすんでのところでヒカルを捕まえることができなかった。
「お母さぁ〜ん。塔矢が大変なの!」
そう叫びながらヒカルがどたどたと階段を降りていく音が響いた。
「な、なさけない・・。我ながらなさけない・・。」
アキラはティッシュを鼻に押しあてながら、畳にうつぶせて唸るように言った。
あからさまなヒカルの誘ったポーズにちょっと色っぽいかわいい表情に、簡単に理性がはじけたばかりか、興奮しすぎて鼻血まで出してしまうとは・・。たしかに格好悪すぎる。
緒方さん達が見ていた裸の女性のグラビアに少しも心が動かなかったのに、ヒカルが同じようなことをしただけで、これほどまでにエンジンが全開になるような興奮を覚えるとは・・。
「ボクも十五歳・・。大人の感覚が少しわかってきたって事か・・。」
そう納得するも、多少常識とはずれている事は気付かない。緒方らは人間の女性だが、アキラの場合は猫。しかも男相手である。しかしそこは愛のなせる技なのか、アキラは微塵にも疑問を感じないのであった。