祐一は、走っていた。
 行き先は、駄菓子屋。
 その前を、倉田姉弟が通るはずだから。


「準備もしたし、これで大丈夫だよな」


 光に包まれてから、気が付けば、七年前に戻っていた。
 夢かと思って頬をつねってみたが、しっかりと痛かった。
 それに、途方も無い知識が、自分に格納されているのが分かる。
 不可思議な力が、自分に宿っているのが分かる。


「これって、使い方しだいじゃ世界を制圧できるんでないか?」


 冷や汗が出てきそうだった。
 あの女神様は、かなり気前が良いらしい。
 かなりとてつもない物を、自分に授けてくれていた。


「まっ、あと少しの命だしな。 これはその分のサービスだろう」


 祐一は知らない。
 自分の命があと少しどころか、天寿をまっとうできるほど長いことを。
 悪戯好きの女神が、わざとそれを告げなかったことを。


「さて、時間も無いから、早いところ片付けてしまいますか」


 気力も体力も、身体中にみなぎっていた。
 最愛の女性達を救えるのだから、嬉しくて嬉しくて仕方が無い。
 絶望が大きかった分だけ、喜びも大きい。
 −10000に−1をかけたら、10000になる。
 それと同じだ。


「佐祐理さん、もう手首に傷は付けさせないよ」














 ありふれた優しさ

  第ニ話 水鉄砲と倉田姉弟



Written By Parl

















 祐一が待ち伏せしている駄菓子屋の近くを、幼い姉弟が歩いていた。
 ただ、二人とも歳相応の無邪気な表情ではなかった。


「う〜ん、この頃から佐祐理さんは、ぷりち〜だったのか。
あれで笑顔だったら、らぶり〜さゆりんと呼んであげたのに」


 ふと、そんな風に佐祐理さんを呼んだら、どんな反応をするだろうかと考えてみた。
 祐一の知っている佐祐理だったら、あははーっと嬉しそう笑ってくれただろう。
 それに嫉妬した舞が、祐一にチョップをしてくる。
 当たり前だった、幸せな時間。


「ぜったい取り戻させてあげるからね」


 そして、祐一は姉弟の前に飛び出ると、驚きで固まっている二人めがけて水鉄砲をお見舞いした。
 こういう遊びが大好きな祐一は、遠慮なく攻撃を続行している。


「ちょ、ちょっと、いきなりなにするのよ」
「なにって、水鉄砲だよ」


 怒っている佐祐理に対して、祐一はまったく動じていない。
 弟の一弥は、姉の後ろに隠れて祐一を見ていた。


「ところで君達、水鉄砲したことある?」
「あ、あるわよ」


 佐祐理は、なんとなく釈然としないながらも、育ちのよさが発揮されて質問に答える。
 隣に居る一弥は、ずっと黙ったままだった。


「君の後ろに隠れているのは、君の彼氏?」
「違うわよ。 私の弟よ」
「ふ〜ん、で弟さんは、水鉄砲やったことある?」


 ふるふると、一弥は寂しげに首を横に振った。
 そんな弟を見て、佐祐理は、辛そうに表情を硬くする。


「だったら、今から俺と水鉄砲で遊ぼうよ」
「え、今から?」
「おう、今から」
「ダメよ。 わたしと一弥は、早く帰って勉強しなければならないんだから」
「あ、そう。 一弥くん、君のお姉さんは、俺に勝てないから勝負を捨てるんだって」


 祐一は、いきなり一弥に話し掛けた。
 あまり喋らないし人見知りする一弥は、不安げに佐祐理を掴む手に力が入った。
 そんな一弥を庇うように、佐祐理は祐一をにらむ。


「わたしは、あなたになんか負けないわよ」
「そっか。 お姉ちゃんはこう見えても運動が得意ってか?」
「え?」


 普段、考えていることを言われて、佐祐理は驚いた。
 祐一は、その隙を逃さず、一弥の手を引っ張って走り出す。


「よし、一弥。 お姉ちゃんの魔の手から、俺が救ってやるぞ」
「わ、わ〜」
「あ、待ちなさい」


 逃げる祐一を、佐祐理は慌てて追いかけた。
 祐一は、一弥の体調を考慮し、走る速度を調節しながら河川敷を目指した。
 走っている最中に、水鉄砲を一弥に渡す。
 一弥は、手渡された水鉄砲を、しげしげと見つめた。


「さあ一弥、君に任務を与えよう。 追ってくるお姉ちゃんに、水鉄砲で攻撃を加えるんだ」
「攻撃?」
「そう。 一弥だって、お姉ちゃんと思いっきり遊んでみたいだろ?
それに、一弥のお姉ちゃんは本当はとっても優しいんだぞ。
だから、一弥が遊んで欲しいって言えば、きっと一緒に遊んでくれるぞ」


 祐一の言葉は、一弥の心に入り込んでくる。
 だってそれは、一弥自身がずっと望んでいたことだったし、ずっと夢見ていたことだったから。
 だから思い切って、水鉄砲で姉を攻撃してみた。


「え、一弥………?」


 佐祐理は、呆然と立ちすくむ。
 一弥がそんなことをするとは、まったくの予想外だったのだろう。
 だが、一弥から見れば、佐祐理が怒るか呆れるかして立ち止まったと思うかもしれない。
 祐一は、一弥が勘違いする前に行動を起こした。


「お、凄いな一弥。 不意打ちとはいえ、初めての攻撃を的確に命中させるなんて、才能あるぞ」
「ほ、本当?」
「ああ、本当だぞ。 祐一さんは、あんまり嘘はつかないからな」


 そう言って、一弥の頭を強めに撫でてやる。
 すると、一弥は照れくさそうに笑った。
 それを見た佐祐理は、衝撃を受けた。
 あんな風に笑った弟を、初めて見たから。


「ほら、お姉ちゃんも、弟に運動神経が良いところを見せてやんな」


 祐一は、佐祐理の心情を察して、フォローした。
 動けないでいる佐祐理の手に、無理やり水鉄砲を持たせる。
 そして、耳元でそっと囁く。


「ずっと、こうやって弟と遊びたかったんだろ? だったら、何も我慢することは無いんだ。
たまには親にとっての良い子じゃなくて、弟にとっての良い姉になってやれ」


 はっとして、祐一の方を向くと、優しい笑顔が待っていた。
 見たこともないくらい、優しい笑顔。
 思わず目を逸らしてしまう。


 笑顔なんか、父親に連れられたパーティで、見慣れていたのに動揺してしまった。
 容姿の優れた同年代の異性も見飽きているのに、動揺してしまった。


 でも、上流階級の子弟なんか、比べ物にならないくらいの綺麗な笑顔。
 佐祐理は、自分の心臓が急にどきどきしてきたのを、感じていた。


「隙あり!!」


 祐一に誉められてかなり乗り気の一弥が、祐一と佐祐理めがけて攻撃してきた。
 突然のことで、祐一と佐祐理は水を浴びてしまう。


「うぬ、やるな一弥。 だが、本気の俺は、手強いぞ」


 すかさず反撃する祐一。
 なんだかんだ言って、上手かった。
 一弥は、とたんに水をいっぱい浴びてしまう。


「ふっふっふ。 まだまだ甘いな、一弥くん。 その程度の腕前ではこの私にはって、うわ!!」


 得意げに喋っているところに、佐祐理が不意打ちをかけた。
 その狙いは的確で、祐一は慌てて逃げ出す。


「おのれ、不意打ちとは卑怯なり。 だが、水鉄砲の祐ちゃんと言われた俺を、甘く見るな」


 すでに、祐一は、かなり本気になっていた。
 目的を、半分くらいは忘れている。


「僕だって負けないからね」


 すっかり打ち解けた一弥が、そう宣言した。
 彼にとっては、生まれて初めての楽しい時間だった。


「あははーっ。 お姉ちゃんも、負けないからねー」


 佐祐理は、笑顔で水鉄砲を構えた。
 そして、その笑顔は祐一がずっと見たかった笑顔だった。
 3人は、時間も忘れて、思う存分遊んでいた。
















 夕焼けが、美しい赤を見せていた。
 子供の影が、遠くまで伸びている。
 どんなに楽しい時間でも、やがて終りはやってくる。
 3人が遊んでいた河川敷にも、夜がゆっくりと迫っていた。


「お、もうこんな時間か。 じゃあ、今日の水鉄砲はここまでだな」
「え、もう終りなの?」


 一弥は、どこか寂しげな表情していた。
 大好きな姉と、こんな風に遊ぶのが初めてだったから、もっと遊びたいと思った。
 もっと友達と遊びたいと思った。


「ああ。 もっと遊んでやりたいが、帰りが遅くなるとな。
大丈夫、また一緒に遊んでやるから。 だから、そんなに泣きそうな顔はするな」


 わしゃわしゃと、一弥の頭を乱暴に撫でてやる。
 ちょっと顔をしかめながらも、一弥は嬉しそうな表情になった。
 誰かに撫でてもらうのは、今日が初めてのことだった。
 それは、彼が予想していた以上に、喜びをもたらしてくれる。


「そう言えば、お姉ちゃんの方の名前は、なんて言うんだ?」


 一弥の頭を撫でながら、佐祐理に質問する祐一。
 当然、名前を知っているが、ちゃんと問い掛ける。
 この世界では、初対面だからだ。


「わたしの名前は、倉田佐祐理です。 小学校の5年生ですよ。 弟の一弥は3年生なんです」
「そっか。 俺は相沢祐一。 一弥よりは年上だけど、佐祐理さんよりは、年下だな」
「そうなんだ。 ねえ、じゃあお兄ちゃんって呼んでも良い?」
「うっ………」


 キラキラキラ


 そんな音が聞こえてきそうなほど、一弥は期待に満ちた眼差しを祐一に向けた。
 それをまともに受けて、祐一は思わず数歩後退した。


 ―――そんなに、期待に満ちた眼差しを、俺に向けないでくれ。


 思わず祐一が尻込みしてしまうほど、倉田弟の眼差しは輝いていた。
 一弥の隣では、佐祐理がほぇっとした表情で弟を見ている。


「わ、分かった。 特別に、兄と呼ぶことを許してあげよう」


 純真で真っ直ぐで一途な視線に耐えられなくなった祐一には、頷くことしかできなかった。


「ただし、条件がある」
「条件?」
「おう。 思いっきりお姉ちゃんと遊んで、その分、いっぱい勉強するんだ。
遊びも勉強もどっちかだけじゃ、ダメだからな」
「うん、分かったよ」


 一弥は、嬉しそうに頷いている。
 そして、祐一は佐祐理にも注文をつけた。


「それと、佐祐理さんにも協力してもらおう。
佐祐理さんに必要な条件は、自分が思ったとおりのお姉ちゃんになること」


「ふぇ、わたしが思ったとおりの………ですか?」


 佐祐理は、自分が条件になるとは思っていなかったので、慌てた。


「そうそう。 今日みたいに、お姉ちゃんはこう見えても運動が得意ってのを見せてあげないとな」
「はい、分かりました」


 佐祐理は、しっかりと頷く。
 それを見た祐一は、もうこの姉弟は大丈夫だと感じた。
 一弥が、心の病から命を落とすことはないだろう。
 佐祐理が、心に深い傷を負うこともないだろう。
 これで、佐祐理の笑顔が守れたと思った。
 その喜びから、優しい笑顔が自然に浮かんだ。
 母よりも優しい、慈しむような笑顔。


「……………………」


 その笑顔に、佐祐理は思いっきり見とれた。
 あのとき感じた胸の高鳴りが、再びやってくる。
 顔が火照っているのが、自分でもはっきりと分かった。


「お姉ちゃん、なにぼーっとしてるの?」
「えっ………あは、あははーっ、べ、別になんでもないよ」


 ものすごく不信そうに、姉を見つめる弟。
 弟の視線から、微妙に目を逸らす姉。
 とっても微笑ましい光景だった。
 もちろん祐一は、佐祐理の顔が赤かったのも、見とれていたのにも、まったく気づいてなかった。


「よし、今度は俺の友達を紹介してあげよう」
「ふぇ、友達………ですか?」
「そう、お友達。 佐祐理さんと一弥には、もっと友達が必要だからね。
だから祐一さんが、君達のために一肌ぬいであげよう。
明日、また駄菓子屋の前で会おうな」


 じゃっ、と手を上げると、祐一は走り出した。
 だが、すぐに立ち止まると、姉弟を振り返る。


「その水鉄砲は、俺からのプレゼント。 二人でいっぱい遊ぶんだぞ」


 そう言うと、今度こそ祐一は、二人の前から去っていった。
 現れたのも突然だったが、居なくなるのも突然だった。


「今日は、楽しかったね一弥」
「うん」


 姉弟は、手を繋いで家路を歩いた。
 いつもは無言の二人だったが、今日は違った。
 楽しそうな話し声と、笑い声が途切れることなく続いている。


「この水鉄砲は、宝物にするよ」
「そうだね。 お姉ちゃんも宝物にするね」


 一弥は、祐一にありがとうと言いたかった。
 祐一のおかげで、初めて思いっきり遊ぶことが出来た。
 大好きな姉と、夢中で遊ぶことが出来た。
 いつもクラスメイトが、羨ましかった。
 でも、明日からは羨ましくない。
 だって、一弥には、祐一と姉が居てくれるから。





 佐祐理は、祐一に深く感謝していた。
 自分は、間違った姉になるところだった。
 それを祐一が、正しい道へ導いてくれた。
 これからは、いっぱい勉強して、いっぱい一弥を遊ぶんだ。
 そう決意を固めた。


「それに…………」


 祐一の笑顔を思い出すと、ドキドキして、身体がぽかぽかしてくる。
 顔が赤みを帯びてくる。
 今日は、なんとなく、なかなか寝付けないような気がした。


「一弥、今日のこと、お父様とお母様にも報告しようね」
「うん。 僕、祐一兄ちゃんのこと、いっぱいお話する」


 並んで歩く二人は、どこからどう見ても、仲の良い姉弟だった。














 その後、自宅に帰った二人は、争うように両親へ今日の出来事を語った。
 汚れて帰ってきた二人を見たときは驚いた両親だったが、楽しそうな子供の様子に目を細めた。
 何よりも、仲良く笑顔の二人を見れたのが、とても嬉しかった。



 倉田家の跡取として、二人の子供には厳しく接しすぎていた。
 子供は子供らしくあればいい。
 礼儀作法や勉強なら、もう少し大きくなってからでも十二分に間に合う。
 子供には、子供の時にしかできないことがある。
 それを削ってまで、勉学に励ませる必要はないはずだ。



 輝かんばかりの子供の笑顔を見て、倉田夫妻はそれを痛感した。
 親が子供の笑顔を見れないとは、なんと歪んだ家族だろうか?
 そんな当たり前のことに気が付かないほど、倉田家とやらのステータスを気にしすぎていた。

 特に息子の一弥とは、最近だけとはいえ親子の会話すら記憶にない。
 それどころか、素人の目から見ても健康を損ねていっているのが理解できた。
 内心、心配していても、なんらいつもと違う振る舞いができない。

 だが、今ならどうすれば良いか、よく理解できる。
 厳しくあることが親の仕事ではないのだ。
 もし、このままの状態が続けば、最悪の事態すらありえただろう。
 それを思うと、背筋が凍る思いがする。



 倉田夫妻は、見知らぬ相沢祐一という少年に、深く感謝した。
 もし彼が娘と息子を救ってくれなければ、この笑顔が失われていたかもしれないのだ。




 食事の時間も、子供の報告会は続いていた。
 思えば、笑い声が絶えない食事も、ずいぶんと久しぶりだった。


「そうか、そんなに楽しかったか」
「うん、お父様。 僕、こんなに楽しかったの初めてだよ。
それに、祐一お兄ちゃんは、お兄ちゃんって呼んでも良いって言ってくれたよ。
僕とお姉ちゃんが、いっぱい勉強していっぱい遊んだら、お兄ちゃんって呼んでも良いって言ってくれたんだ」
「いっぱい勉強して、いっぱい遊ぶ?」
「うん、お母様。 お兄ちゃんは、一生懸命勉強して、目一杯遊ぶこと。
どっちかだけじゃダメだって言ったんだ」
「わたしも一弥と同じことしないとダメだって言われました」
「それじゃあ、一弥も佐祐理も、いっぱい勉強していっぱい遊ばないといけないな」
「「うん!!」」


 元気な我が子を見つつ、両親は驚いていた。
 初めて会ったのに、二人に最も必要なことを、的確に見抜いていた。
 親ですら、気づけなかったことに、あっさりと気づいている。

 知らず知らずのうちに、両親の顔はほころんでいた。
 そして、相沢祐一という名前の少年に対する興味が、ふつふつと湧きあがってくる。


「相沢祐一くんに、父さんも会ってみたいものだ」
「ええ、母さんも会ってみたいわ。 それに、今のところは佐祐理さんの第一候補でしょうからね」
「はぇ? わたしの第一候補ってなんですか?」


 きょとんとした表情の娘の姿に、母は目を細めた。
 まさか、こんな楽しい会話ができる日がこようとは思っていなかった。
 だから、嬉しそうに爆弾を投下する。


「もちろん、佐祐理さんがお嫁さんになる相手の第一候補ですよ。
簡単に言うと、佐祐理さんの結婚相手が祐一さんってことね」
「ふ、ふえ!?」


 予想外のことを言われて、佐祐理はパニックに陥った。
 それでも、祐一さんと結婚という言葉を思い浮かべると、自然と頬が赤く染まった。
 やっぱり、あの笑顔は反則だと思う。


「お姉ちゃん、真っ赤っかだよ」
「か、一弥!!」


 真っ赤になって弟をたしなめる姉と、にやにやしながら姉をからかう弟。
 昨日までは、まったく考えられなかった楽しい食卓の風景。
 倉田夫妻は、久しぶりの家族の団欒を心行くまで楽しんだ。
 そして、密かに相沢祐一婿養子計画を、練り始めるのだった。
 この計画が、後に祐一をかなり困惑させることになるのだが、勿論、祐一本人はそんなこと分からなかった。















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Ver.1.00 2002-01-24 公開