その麦畑には、見覚えがあった。 黄金色に染まったそこは、とても綺麗で人の心に安らぎを与える。 風に揺れる色鮮やかな麦の絨毯。 指折りの絨毯職人が、どんなに望んでも敵わない美しさと安らぎに満ちていた。 ざわざわと穂が揺れている。 夕焼けが、空を紅く染める。 流れる雲は、行くあての無い旅路の途中。 空を舞う鳥達にも、それは分からない。 祐一は、風になびく髪もほったらかしにしながら、人を探していた。 この場所で会うはずの異質な力を持った少女。 その力ゆえに、人々に迫害されつづけた。 ただ、母親とずっと一緒に居たかっただけなのに、周囲の愚劣な大人はそれを許さなかった。 その心の傷は、少女に己の持つ力を忌避させる結果になってしまっている。 それが元になって、悲劇は起きてしまった。 「繰り返させない」 祐一は、唇を噛み締めてそう誓った。 誰よりも不器用で、優しい心を持つ少女を、今度こそ救おうと思った。 「例え世界中の誰もがお前を………お前の力を嫌って側から離れても、俺だけは側に居る」 それが、偽りであることは、誰よりも祐一自身が知っていた。 心は供にありたくても、限られた命ではそれも叶わない。 しかし、祐一はそれでも良いと思っている。 重要なのは、少女の全てを受け入れてあげることだから。 多少いい加減になってしまうが、後のことは佐祐理たちに任せようと思っていた。 女神の気まぐれを知らない祐一は、ある意味、悲壮な決意を胸に抱いていたのかもしれない。 自分の命が、この後も永らえることを知らないのだから。 祐一は、麦畑とその周辺を探し回っていた。 初めて舞と会った記憶を思い出しながら、麦畑を歩く。 「この辺だと思うったんだけどなぁ」 目的の少女は、祐一の視野に入っていない。 この場所にきてから、すでに三十分は経過している。 「今の俺は、暗くなる前に帰らなければならないからな。 秋子さんに心配や迷惑を掛けるわけにはいかない」 あと三十分ほど探しても、舞が見つからなかったら今日は諦めよう。 そう祐一は考えた。 限られた時間の中で少女達を救うのは、かなり厳しかった。 「泣き言はいってられない。 もう、あんな思いをするのは真っ平だ」 居るはずの少女を、祐一は捜し求める。 そして、さらに探すこと二十分、ようやく少年は目的を達成することができた。 「だれ?」 警戒を含んだ声を祐一に向ける。 舞の決して長いとはいえない人生の内容を考えれば、それは仕方の無いことだった。 ありふれた優しさ 第三話 麦畑と無口な少女 Written By Parl
舞は、生まれて初めての経験に戸惑っていた。 麦畑で見知らぬ少年と一緒に座っている。 人との関わりを失ってから、彼女は誰かとこんな風に過ごしたことはない。 側にいた親しい人は、みんな舞から遠ざかっていった。 異能と呼べる能力が、人の畏怖と忌避を買ってしまった。 そんな舞に近づいてきたのは、卑しい下心を持った大人と頭が固くなった大人だけだ。 ところが、この少年は自分と遊びたいという。 考えられないことだった。 その時の事を、思い起こしてみる。 「………だれ?」 「誰って言われてもな。 まあ、名前は相沢祐一だ」 「………祐一?」 「ああ、そう呼んでくれて構わないぞ。 で、そっちはなんて名前なんだ?」 「舞。 川澄舞」 「川澄舞か………舞って呼んでいいか?」 「別に構わない」 「よし、じゃあ遠慮なく舞って呼ばせてもらおう」 祐一は、舞の警戒をまったく気にする風でもなく、色々と話し掛けてきた。 人と離れて暮らすようになってから、無口になっていた舞は、かなり戸惑っていた。 「こうやって話しているだけじゃ、勿体無いな。 せっかく目の前には麦畑があるんだ。 鬼ごっことか、かくれんぼとかして遊ばないか?」 「……………いい、やめとく」 悩んだ挙句、舞は断った。 いや、断ったというより混乱していて、なんと答えて良いか分からなかったと言うべきだろう。 ――こんな風に断らなかった方が、良かっただろうか? ――せっかく近づいてきた人を、自ら遠ざける真似をしなくても良かったのではないか? 舞は、少し冷静に考えてみて、かなり後悔した。 辛い経験から、大人びた考え方をするようになってしまったが、そこは小学五年生。 友達とも遊びたいし、もっと話もしたい。 「そっか。 まあ、時間も時間だからな。 じゃあ、変わりに話をしないか?」 「え?」 「だめか?」 「………だめじゃない」 「よかった。 じゃあ、そこで話をしよう」 そう言って祐一は、麦畑の近くに腰をおろした。 そして、舞を手招きする。 多少の躊躇はしたが、結局は無意識の欲求が勝った。 舞は、黙って祐一の隣に座った。 「舞は、いつもここに居るのか?」 「……だいたいは、ここにいる」 「そっか」 その後、祐一と舞の会話は続いた。 と言っても、祐一が一方的に話し掛けて、舞がそれに言葉少なく答えているだけなのだが。 そんな中で、舞は不思議に思っていた。 どうして隣に座る少年は、こんなに私の近くに居てくれるのだろう、と。 もしかしたら、元々住んでいた場所から遠く離れているから、自分の力のことがまったく知られていないかもしれない。 それなら、自分も普通の子供だ。 そう考えれば、隣に座る男の子の行動にも、一応納得がいく。 舞は、そう考えた。 ところが、その少年………祐一にそれを否定されてしまった。 出会ってから少しして、彼はいきなりこう言ったのだ。 「舞って不思議な力を使えるんだろ?」 舞は、心臓が止まるかと思った。 せっかくさっきまで仲良く遊んでいたのに、それを知られたらまた離れていってしまうと考えた。 だから、舞は嘘をついた。 「………力ってなに?」 と言って。 しかし、祐一はそんな舞の嘘をあっさりと見破った。 「知ってるから良いよ。 一応、確認しておきたかっただけだからな」 「………確認?」 怯えの混じった声で、舞は問い返した。 自分の素性を知られて、力のことを知っていて、それでも普通に接してくれた人は居なかった。 この少年―――祐一との楽しい時間もこれで終わりだと思った。 そう思うと、次から次へと悲しみが押し寄せてくる。 また、この力のせいで人が離れていく。 「俺は、離れないよ」 だから、そう祐一が呟いたとき、舞は聞き間違いだと思った。 驚いて祐一の方を振り返る。 そこには、淡い笑顔が待っていた。 仄やかに、鮮やかに微笑んでいる。 舞が見たことも無いくらい、そこには優しさと安らぎを感じた。 「舞がどんな力を持っていても、俺は気にしない。 それに、その力を含めて舞いなんだ。 舞が嫌っているその力も、舞という個人を構成しているパーソナルだから。 だから、俺は舞の力を含めて好きだよ」 「え?」 聞こえた言葉が、信じられなかった。 からかわれているのだろうか? 先ほどから、祐一には頻繁にからかわれている。 舞は、そう結論付けた。 短い時間ではあったが、彼の性格は多少分かった。 天邪鬼で苛めっ子だけど、優しく心を大切にする。 「………祐一、嘘はよくない」 「あのな、舞。 俺は確かに嘘はつくけど、こんなことで嘘は言わないぞ」 いくぶん憤慨している祐一。 彼にしてみれば、一世一代の告白に近かった。 自他ともに認める素直じゃない性格………特に、男女間のことになると、それが顕著だったりする。 もちろん、小学生の世界には、【好き=愛している】的な意味合いまでは込められていない。 今の舞には、力を認めさせることが必要だと判断して、自分が力を込みで舞のことを好きでいると伝えたのだ。 かなり恥ずかしかった。 それなのに、当の本人はそれを否定する。 「ったく…………どうすりゃ信じてもらえるんだか」 「それなら、明日もまた会って。 そうしたら信じる」 舞にしてみれば、不可能に近い願いだった。 あの時から、ずっと一人ぼっちだった舞にとっては、叶わないはずの願いだった。 だが、祐一にとってみれば、拍子抜けするほど簡単なことだった。 元々そのつもりだったから。 だから、あっさりと了承する。 「なんだ、そんなことで良いのか。 おう、それなら約束だ。 明日もこの麦畑で会おうな」 「………分かった」 太陽は、麦畑の向こう側に消えようとしていた。 子供は、そろそろ帰る時間だ。 「じゃあな、舞。 また明日」 「………また」 祐一は、笑顔で手を振ると、麦畑を後にした。 そんな祐一の姿が見えなくなるまで、舞はその後姿をずっと見送っていた。 久しぶりに、笑顔が浮かんだ。 心が温かかった。 「………祐一、明日も来てくれるかな?」 そう呟いていたが、舞は祐一が明日も来ることを確信していた。 あの日以来、人の温もりを得ることはなかった。 笑顔を向けられることはなかった。 「もし、祐一が明日来てくれたら、私はこの力をこれ以上憎まなくても済むかもしれない」 既に日は大きく傾いていた。 夜と呼ばれる時間まで、あと少ししかない。 舞は、帰ることにした。 今日の出来事を、母親に話そうと思った。 そして、明日の夜には友達ができたと、報告できるかもしれない。 それは、舞にとっても母親にとっても、嬉しいことに違いない。 舞に友達ができないことを、母親はずっと気にしていたし心を痛めていた。 それが解消されるのだから。 翌日、舞が麦畑にくると、既に祐一はそこにいた。 「よう」 「……よう」 なんとなく、同じ言葉で挨拶を交わす。 約束どおりに祐一が来てくれて、舞は心が温かくなった。 「……本当に、来てくれたんだ」 「おう、当然だ。 これで俺の言うことを信じてくれるんだな?」 「うん、信じる」 舞の返答を聞いた祐一だが、少し顔をしかめた。 何か、いけないことをしてしまったのかもしれないと思い、舞は慌てた。 もっとも、かなりのポーカーフェイスを保っているので、とてもそうは見えないのだが。 「なんかこう、可愛げが足りないな。 舞も女の子なんだから、もっと可愛くするべきだ。 というわけで、これからは【はい】を【はちみつクマさん】、【いいえ】を【ぽんぽこタヌキさん】と言うのだ」 「………分かった」 なんとなく、祐一に嫌われたくない舞は、素直に彼の言うことを聞いた。 「よし、それじゃあさっそく実践編だ。 俺が質問するから、それに答えてくれ。 まずは第一問、舞は男の子か?」 「……ぽんぽこタヌキさん」 「次の質問、舞は女の子か?」 「……はちみつクマさん」 「さらに次の質問………」 こうして、祐一のあまり意味があるとは思えない質問が続いた。 そして、そろそろ三十問目なろうかというとき、祐一はいきなりこう言った。 「じゃ、次だ。 舞は、俺のことが好きか?」 「…………え?」 「『え』じゃなくて、はちみつクマさんか、ぽんぽこタヌキさんで答えてくれ」 不意打ちとも言える祐一の質問に、舞は大いに戸惑った。 嫌いかと聞かれれば、即座にNOと答えることができただろう。 自分の力のことを知っても、まったく気にすることも無く接してくれる存在………下心なしの関係というのは、舞の求めていたものでもあったから。 だから、それを与えてくれる祐一のことが、嫌いということはありえない。 だが、好きかと聞かれれば、それはまた別問題になる。 【嫌いじゃない=好き】とまでは、さすがにいかないだろう。 それに、なんとなく恥ずかしかった。 舞は、考えた。 舞は、悩んだ。 その結果、出した答えは、 「………祐一は、嫌いじゃない」 というものだった。 舞にとっては、精一杯の答えだった。 だが、祐一はその答えに満足してはくれない。 「そうじゃなくて、はちみつクマさんか、ぽんぽこタヌキさんで答えてくれ」 「……祐一は、嫌いじゃない」 「だから、はちみつクマさんか、ぽんぽこタヌキさん」 「……祐一は、嫌いじゃない」 「はちみつクマさんか、ぽんぽこタヌキさん」 「……祐一は、嫌いじゃない」 「はちみつ……」 「……祐一は、嫌いじゃない」 「………………」 「……祐一は、嫌いじゃない」 「分かった。 俺が悪かった」 最終的には、祐一が折れた。 なんとなく、そのまま無言の時間が続いた。 祐一は、だいぶ舞の雰囲気が良くなったことを感じていた。 後は、佐祐理さん達を紹介すれば、問題ないだろうと思った。 一方、舞いは先ほどの祐一の質問を考えていた。 好きか嫌いか………好きとは、どういうことか。 ――祐一がいなくなったら、寂しい。 そしてたぶん悲しい。 ――祐一のことを考えると、なぜか胸が苦しくなる。 今まで、好きとか嫌いとかを考えたことがなかった。 そんなことを考えることなど、できなかったと言った方が正しい。 なぜなら、側に居てくれる人すら、舞には居なかったのだから。 祐一の質問がきっかけとなり、舞は舞なりにその答えを求めようとしていた。 そんな風に舞が思考の海に船出しているとき、不意に祐一が衝撃的なことを言った。 「そうそう、俺は舞のこと好きだからな」 言われた瞬間、舞の心は一気に過熱した。 身体も心に引きづられるかのように、熱を持ち始める。 昨日も聞かされたはずの言葉だったのに、まるで初めて聞いたような衝撃を受けた。 舞は、初めての経験に翻弄された。 確認するまでもなく、顔が真っ赤になっているのが分かった。 ――祐一が、私を好き? ――嬉しい、でも恥ずかしい。 ――この心が温かいのが好きっていうこと? ――だとしたら、たぶん私も祐一が好き。 そのことを意識した瞬間、ますます舞の動機が激しくなり、顔は熱を帯びる。 だが、祐一はそれに気づかずに話を続ける。 「そうだ、今日は舞に会わせたい人が居るんだった」 「会わせたい人?」 「おう。 きっと舞が好きになるし、舞のことも好きになってくれる人だ。 いい友達になるぞ」 「友達………なれるかな?」 「大丈夫だ、俺が保証する」 祐一は、力強く断言した。 「どうだ、舞? 会ってくれるか?」 「………分かった。 祐一を信じる」 「よし。 じゃあ、さっそく会いに行くか。 というわけで、俺の後についてきてくれ」 祐一と舞は、連れ立って麦畑を後にした。 祐一が引き合わせようとしているのは、倉田佐祐理だった。 七年後の世界で、あれだけ親しい二人なら、きっと大丈夫だと思ったから。 舞には幼いうちから、友達が必要だと祐一は考えていた。 それに、倉田姉弟にも、親しい友人は多いに越したことは無い。 あの二人も、家柄の影響で、純粋な友達を作るのは難しいと思っていた。 舞の力をまったく気にしないのと同じように、この地域で一番の資産家である佐祐理の家柄を気にしない人も、なかなか現れないだろう。 特に年齢を重ねていけばいくほど、そのような柵に囚われていく。 世間体、俗世の価値観、集団の常識。 日本と言う国は、島国根性と付和雷同の固まりで、自分と違うものを忌避する傾向が強い。 人が持つ特性のひとつである、異質な存在を拒む性質。 日本人は、それが特に強い。 だからこそ、舞も倉田姉弟も、子供達の輪に入るのは難しいだろう。 大人に………、高校生あたりにでもなれば、彼女達の容姿や権力に下心を持つ者が近寄ってくるかもしれないが、そんな輩は百害あって一利無しだ。 その日、川澄舞は新しい友人を二人作ることができた。 舞も倉田姉弟も初対面だったが、祐一という触媒の存在で一気に打ち解けることが出来た。 周りから色眼鏡で見られるという共通の境遇があったのも、一因だったであろうが。 その後、麦畑で遊ぶのは、舞と倉田姉弟の日課となった。 Ver.1.00 2002-02-01 公開 |