「そう……あのとき、轍が教えてくれた勇気。そして約束」
「約束……?」
「『私もまたいつかきっと旅に出るから』……そう、約束したでしょう?」
「……ああ」
「これが、私の旅なんだと思うの」

 静かにそう呟いた玉恵の横顔に、轍は胸を衝かれる思いだった。
 短い旅路の間に、彼女のいろんな表情を見てきたつもりだった。だけど今日の彼女はなんて――そう、なんて綺麗なんだろう……。

「玉恵……どうしてお前は……そんなに……」

 言葉を詰まらせた轍を、玉恵が不思議そうに見上げる。
 そして、静かでとても優しい笑みを浮かべた。利尻島で見た、母のように、姉のように、――恋人のように、優しい笑顔。

「だって、私は轍の前輪だもん。止まるわけにはいかないの。そうでしょう?」
「……!」

 そう、それは轍が玉恵に云った言葉だった。前輪をなくしてはもう走り続けられないと。
 だが、いつしかそれを言い訳にしていなかっただろうか? 玉恵を失ったからもう走れない。もう旅を続ける理由もない……。
「最高の笑顔」が、今そこにあるというのに。
 轍はただ黙って、玉恵を強く抱いた。涙を、見られたくなかった。

「……轍?」
「……ありがとう……」
「やだ、どうしたのよ、轍」

 云いながら、玉恵も轍の体を抱いた。
 3年前の自分の決意。それが轍を苦しめたことは、わかっていた。
 ふたりのため、そう自分にも轍にも言い聞かせたけれど、本当はあそこでも自分は逃げていたのかもしれない。ふたりで生きてゆくことから。
 そう考えるのが怖かったからこそ、玉恵はこの3年間、負けまいと必死になれた。そしてやっと自分の『旅』を見つけられた、と思えたとき、轍に会わなきゃ、とごく自然に考えたのだ。あのとき別れた本当の意味が、きっとわかるはずだから。
 そして、今夜。玉恵の確信は、間違っていなかった。
 私のために苦しんだ彼への償い。それは、私が走り続けること。彼と一緒に。

「私が、轍に勇気をもらいに来たんだよ? 御礼を云うのは私」

 轍が黙って首を横に振る。
 そんな轍に頬を寄せながら、玉恵は囁いた。

「たとえそばにいられなくたって、私たちは同じ空を見て、同じ風を感じてる。私たちの旅は、続いているよ。一緒に」

 瞬間――。
 ふたりは、北海道の風の中にいた。初夏の頃、緑なす高原。地平線を目指して、タンデムで駆け抜けた日々。
 あの頃と、今と。何ひとつ変わってはいない。

「そうだよ……。玉恵の云うとおりだ……」

 轍の面に、ゆっくりと笑顔が広がっていく。
 探し続けていたものが、今、腕の中にあった。

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