催眠状態で起こる深いリラクゼーションはそれだけで非常に治癒力があって、とても役立つものですが、そのリラクゼーションがどのように心全体に影響を与え、そのことによって心はどのように治癒し回復していくのかなどの点はそれほど解明されていません。
この章では催眠だけにこだわらないで“リラックス”とそれに伴う自然治癒力をテーマに取り上げ、その心の仕組みに迫ってみようと思います。
以下にリラックスとかリラクゼーションという言葉を使う時は単に緩める、弛緩するという意味だけでなく、やすらぎ感や安心感などから、休息、静養なども含むような大まかなニュアンスで使う場合もあります。
催眠療法では、催眠誘導によって導き出された注意集中状態の中で様々な心理技法を用いて面接が行われます。例えば、直接に暗示で変化をねらう暗示療法や、催眠状態で活発になったイメージ活動の中で様々な訓練を行うメンタルリハーサル法、ストレスなどを発散させるカタルシス法、過去に退行して、潜在意識にあるトラウマや問題の原因を探ったりする分析的な面接方法などがあります。
私は最近は、フォーカシングの技法をクライエントを軽催眠に誘導した状態で用いたりもしています。
このように、催眠療法では、他の通常の意識状態で行っている様々な心理臨床技法を取り入れて、それを催眠状態の中で行う場合が多く、ひとくちに催眠療法と言っても中身は多種多様です。
その催眠療法の中でとても役立つように思えるひとつの要素があります。それはただ単純に催眠状態を、安心して気持ちよく体験することです。催眠に、より深く入り催眠イメージの中で、日常から切り離れた世界を味わい遊ぶことは、ちょっとしたイリュージュン体験のようで、一時的ではあるけど、悩みや苦しみからの切り換えや解放にもなります。
その催眠トランス状態から自然発生のように起こってくる心身の深いリラクゼーションはとても気持ちの良いもので、またそれによって自然治癒力の働きが一段と活発化してくるのです。
催眠に限らず「深いリラクゼーション」を体験することがとても治療的なわけです。
実際の心理臨床では、問題解決に取り組むにあたって、クライエントに安心感が強まり、それによってリラクゼーションが深まれば、心身に備わっている自己治癒力がよく働いてくるので良い方向に進むようになってきます。
これは身体の病気や怪我などの時と全く同じことなのです。例えば身体的にひどい傷害を負った場合に、いろいろ薬を使うことはあるにしても、治療のメインは安静にして傷が癒えるのを待つことにあります。
心の傷が癒えていくのもやはり同じように心を安静に保つのが基本です。しかし心の場合は目に見えないためか、時にはそれが当人にさえもよく分からず「うまくいかないのは頑張りが足りないのでは」などと思ったりして、傷ついた自分自身を責めている場合まであります。これでは心が安静になれるはずがありません。
家族や周りの人に、なかなかわかってもらえない重度のうつ状態のクライエントが「包帯を巻いている人がうらやましい」と言ったことがありました。外見にはそれと見えなくても心の中は、例えば足を怪我して血を流しながらもマラソンを続けているのと同じように、一時も休まらず苦しみ続けているのです。
安心感、リラックス、そして自己治癒力が非常に重要で、またそれがどの様に働くかを追求していくのがこの章のテーマですが、クライアントの問題解決にあたってはもう一つ大切な部分があっておろそかにできないので、その点について述べておきます。
それは深く休息することなどから治癒力が働き回復したとしても、また再発する場合です。環境の圧迫がまた一段と強すぎたためにそうなる場合もあるわけですが、当人自身がそうなりやすい傾向を持っていて、気がつかないうちにまた同様のパターンに陥っている場合も多いのです。
良くなったり悪くなったりと悪循環になっている場合など特に、当人自身がそうなりやすい傾向の部分を持っており、そこが変化しないと本当の意味で良くならない場合もあります。この傾向というのはその当人の性格や信条のところにあります。
ここを上手に洞察して乗り越え、力を付けて行くクライエントもいるわけですが、「これは私の性分だから」と言って、はじめから変わり様がないと思っている人もいます。このところを変えようとする作業は、言葉で言うのは簡単ですが、自分の根本を変える位のものですから、それはなかなか難しく苦しい取り組みでもあります。
ですからただ催眠療法のみ行ったのではこの部分へのアプローチは不十分となります。ここが催眠療法の弱点と言えるでしょう。このところはカウンセリングやフォーカシングなどを併用したりしながら取り組んで行くのですが、詳しくはこの章の課題とずれてくるので指摘するにとどめます。
・・・・内的成長によって問題解決に至ることをもくろむ方法の心理臨床の場合、問題が軽い場合には辛いところを話し合うにしても、それだけでスッキリしてきたり、また洞察もスムースに進み、話し合っていると楽しいくらいで短期間で解決に至る場合も数多くあります。でもやはり問題が大きかったり、症状が重い場合の治療過程は長期に渡るし、なかなか苦しい大仕事となるのです・・・・
リラックス(休息、やすらぎ、静養)の大切さは万人も認めるところで、言うまでもない事と思えるでしょう。最近では雑誌の特集で取り上げられたり、CDショップや書店にリラクゼーションのコーナーが普通にあります。癒しは定番となってしまいました。
人間にとってとても大切なその「休息すること、やすらぐこと」への理解をより深めて、心地よい自分に合った、より役立つものを見つけられるようになるのは現代人に全てに必要なことでしょう。
しかし現代人でも心の内に一歩踏み込むと“頑張る”ことが強い価値観となっていて、リラックスはおまけ程度であったりします。またリラックスすること自体にしても、そのコツが分からずにリラックスに入れなかったり、入っていたとしてもごく浅い状態でしかない場合も数多く見うけられます。
また、リラクゼーションにはいろんな形で心の解放作用が伴うのですが、それに関する理解不足のためにせっかくのリラックスから治癒への動きが半減したり、うまく行かなくなる場合もあります。この点は後半詳しく取り上げてみます。
ところで全ての『治療』に関する考え方で共通しているのは、生命体の持つ自然治癒力が強調されていることでしょう。確かに、例えば薬を用いるにしても、薬の作用はあくまで補助であって、主役は元々の身体が持っている様々な代謝作用の働きであるわけです。それが大いに活躍するから回復していけるのです。
心理臨床では特にこの“自然治癒力”が頼りとなります。著名なユング派の心理臨床家、河合隼雄氏は自分の心理臨床に関して「何もしないことに全力をあげる」と言い切っています。河合氏によると、へたにあれこれ“手を出す”ことで治癒に至る自然の流れを邪魔することになりかねないと言うのです。
その河合氏の態度には、クライエント個人への深い信頼もさることながら、生命体にある自然治癒力ばかりかそれを超えて、運命や偶然の働きなどや、宇宙天体(自然)の動きまでにも広げてそれらを信頼しようとするような、驚くまでの態度が見られます。
残念ながらうつわが小さい私の場合は、生々しく苦しみながら生きているクライエントの話を聞くと、そうそう信頼を深くして落ち着いてはいられなくて、やはり何かせずにはいられなくなってきます。そこで私の場合は深くリラックスすることを目標にした治療技法を使ったりもする。と言えるでしょう。
ところでそれはさておき、個人におけるこの“自然治癒力”がよりよく働くには、前々から述べていることですが、やはりリラックス(やすらぎ・安心)が前提条件なのです。
精神科医神田橋條治氏は名著「精神療法面接のコツ」の中でご自分の体験から、自分を育ててくれたのはその八割が「抱えられ体験」であると言い、「治癒課程の本流は、抱え環境の中で進行する」と述べてもいます。「抱え環境」とは「安住の環境」ということであり、心身が“やすらげる”場所です。この状態と人間の持つ自然治癒力の働きはパラレルであって、やすらぎ感(リラックス)が強くなればなるほど治癒力も高まるのです。
目に見えない心を扱うのが心理学であって、催眠もその心の現象の一つであり、心というものをどう捉えていくのか、何かに安易に還元することなく心の現象を追求、解明していくのが真の心理学と言えるでしょう。
でもそれは私の力にはあり余ることでなので、ここでは一応、目にも見えやすい身体面に絡めて、心は大脳の働きによるものと、とりあえず限定して述べていきます。
・・・・例えば深層心理学なら、ユング派の中で元型心理学をとなえているヒルマンは「私たちは即時的・直接的にはファンタジー・イメージのみを知ることが出来・・略」と述べています。要するに夢や空想の世界だけでなく、目に映り触れられるもの、現実や物質も全て心が生み出しているととらえていくのです。この見方は第Ⅱ章でも述べた仏教思想の「この世における全てのことが夢である」というのと同一です。両者が一致していることも興味深いですが、その考えや思想はとてもおもしろくて為になります・・・・
東洋医学では“経絡”と言う“気”の流れが生命の根本的役割を果たしていると考えます。“気”の考えを広げていくと宇宙天体の分野まで話が広がり、先に述べた河合隼雄氏の考え方ともつながってくるわけで、興味深くはあるのですが、先に述べたように今回は個人における心身相関の範囲で考えてみます。
ここで強調したいのは心身にはつながり、流れ、循環があると言うことです。西洋医学で、血液やリンパの循環や神経のつながりなどをみても、人間が健康であるには身体の様々な循環がスムースであることが大切です。それは心をつかさどる大脳自体の中においてもいえることで、シナプスなどの流れがスムースなぶん自然治癒力も、より働きやすいのです。
心の動きを先にも述べた流れ、循環のイメージととらえ、より具体的に川の流れや水路のように考えてみると、リラックスが、どのように治癒に結びついて行くのかなどが理解しやすいように思います。
例えば心的エネルギーの中からストレスと言われるようなものを見てみると、よく「ストレスが溜まる」と言いますが、この状態は川や水路が狭められて流れが淀み、ダムのように水が溜まってしまった状態といえるでしょう。意識的無意識的に緊張することでこの心の水路が狭まり流れが滞ってしまうのです。
確かに自分でも受け止めかねる、強い怒りや悲しみを出さないようにと我慢する時など、人は心身を緊張、収縮させてその流れ出ようとするものを押さえつけます。そしてその収まりのついていない感情やストレスは、その時生じた心身の緊張とともに水路に出来た、よどんだ水溜まりかダムのように、心身のどこかに溜まってしまうのです。
そして当人でさえそれに気づかなくなっていることもよくあることです。けれどもそのエネルギーはダムに溜まった水のように常に流れ出ようとする勢いを持っていて、それとははっきり見えなくとも、常になんらかの圧迫を心と体に与えているのです。
溜まったものといえば、来談されるクライエントが夢で「トイレを捜すがなかなか見つからない」とか「トイレに入ったが汚くて落ち着けない」などというのを見たりします。溜まったものをスムースに出すことができなくて苦労しているのです。
トイレの夢の、自分の心の中に溜まっている(排泄物のように思える)ものを(外に)出す出さない、というテーマは、ここで例えたダムに溜まった水のコントロールと同じところを象徴しているようです。
このせき止められていたものの解放は、例えばカウンセリング場面では、カウンセラーの共感に支えられ受け止められながら話を進めることでも起こってくるわけですが、それらが程良く流れ出た時には心だけでなく、肩が軽くなったり胸や頭がスッキリしたり、伸び伸びとした感じにもなります。・・・ちょっとトイレで気持ちよく排泄してサッパリした時と似ていそうですが・・・これははただ気分的なものだけでなく、身体も実際に確実に緩んで楽になっているのです。
中年男性であるAさんは、自律訓練法のトレーニングを自宅で行っていたら、それまで何度か繰り返し見たことのあった、追い詰まるような感じの夢と、同じような感覚になってきたので、「これはよく見る夢と似た感じだな」と注目していたら、突然高校時代の辛かった思い出が蘇ってきたそうです。
自律訓練法の訓練中に起こるこのような反応は、自律性解放と名づけられています。常にあるわけではないですが、時として例えば身体がかゆくなったり、リラックスしてきたのに不安感が出たりなどの心身反応が、理由はよく分からないままに起こってきたりもします。
ようするに心身がリラックスしてくると自然にストレスなどを解放しようとする動きが強まるのですが、それは狭まっていた水路が広がったり、固く閉ざしていたダムの水門が緩んで、溜まり溜まって淀んでいた水が流れ出ようと動き出すのと同じ事なのです。
彼の場合はそれ以前に、私に繰り返し見る夢があることを話していたこともあったせいか、関心が強まっていたのでしょう。その追い詰まるような感じの自律性反応に、自然にしばらくフォーカスし続けたようです。その事が、ただの心身反応の段階にとどまらないで、心の水路を繋げる結果となり、すっかり忘れていた過去の、その当時には受け止めがたかった辛い体験が蘇ったのです。
その体験とその当時の辛かった思い出を私と話し合うことで、より適切にそのことを受け止められて整理ができたようです。話し終わった時「何だか肩が軽くなりました」と気持ちよさそうに肩を動かしていたことを思い出します。
特に自律訓練法を行っている時に限らなくても、自律性解放と同様の心身反応は日常的に様々な形で起こっているわけで、例えばウトウト状態でおこる金縛りなどは、もちろんほんとうの心霊現象の場合もありうるでしょうけど、たいていは、この自律性解放と同じ現象のようです。
人間は快楽を好んで様々な工夫をこらし、様々な酔い事に夢中になります。意識的には楽しくて気持ち良いから、好きだからやっているだけと言えますが、それは枠にはまってしまった自分自身を再調整するための精神活動ととらえる事ができるのです。第Ⅲ章で催眠状態との関連で説明した、自我放棄「我を忘れる」状態です。
何かに夢中になってあっという間に時間が過ぎていた。ということは誰にでも経験があると思います。この時私たちの心はいつの間にか自我の防衛を解き放って、無意識的なるものと融合し自己調整を行おうとしているのです。お酒を飲んで酔っ払うことはもちろんコンサートや映画鑑賞でも我を忘れる状態になるし、趣味に没頭している時や、祭り、性愛の時、スポーツなどを行っている時にもそのような状態に至ります。
命と引き替えですが麻薬などは非常に強烈な酔い事です。ある心理学者は、アメリカでのひどい麻薬汚染はアメリカ人の自我があまりにも強固になり過ぎたり、他と切り離され過ぎたりしたために、麻薬のような強烈な刺激でないと、自己解放や融合体験などができなくなってしまったのだろうと分析しています。麻薬は副作用の問題と共に不自然な解放作用となりがちですから論外ですが、このような「酔い事」は人の心身の健康にとって非常に大切なものなのです。
前節から心的エネルギーのひとつで分かりやすいと思えるストレスを例に取り上げて説明してきましたが「ストレス」というと否定的感じなものになりがちなので補足しておきます。
心的エネルギーとしては、ストレス、葛藤、心的外傷などや本能的なもの、またユング心理学で考える、個人を越えたところの深い無意識層のエネルギーなど様々なものが考えられます。元来、心的エネルギーはプラス面もマイナス面も持っているわけだしそれとうまく折り合いをつければ、生き甲斐につながる場合もあるわけです。
問題となってくるのは、今までのままで安定していようとする自我には受け止めがたいものや社会的に容認しがたいように思える心的エネルギーです。適切に心理臨床の過程が進んでいけば、最初は否定的に見え、受け止めがたく思えたそのエネルギーがプラスに転じて行きます。
日常で起こる「我を忘れる・枠をゆるめる」状態の中には単にストレス解消やカタルシスに終わるだけではなく、古い行き詰まった自我からより良い自我に変化する、心理的な死と再生などが行われる場合もあります。形骸化していない事が前提ですが、宗教的行事の場や様々な儀式、古代人や少数民族などのイニシエーション(通過儀礼)の場などにはそれが明確に現れています。
また、そのような儀式的なものでなくて、小説を夢中で読んでいても、心の内界で死と再生のモチーフが働き、小説を読み終わった時には、自分が生まれ変わったような感じになることもあるわけです。
・・・・現代では古来からある伝統的な儀式はすでに形骸化しており、イニシエーションとしての役割は無力化しているので個人は自分から一人でそれに取り組まねばならず、その意味で難しい時代になった、といわれています。そして現代では心理療法がこの役割の一端を担っていると言うことができるようです。ユング派の分析家がその心理療法の場で個人の無意識(夢)のなかに、死と再生や、イニシエーションなどのモチーフが働いていることを明らかにしています・・・・
この人間の心身にとって非常に大切な自浄作用ともいえる働きですが、枠をゆるめることで、受け止めかねるくらいの強いエネルギーが流れ出る場合があり、危険が伴うことを忘れてはなりません。自我の受け止める力も問題となるのですが、心的エネルギーが大きく溜まっていて、その強さの程度によってそれが流れ出る時には危険も増大するのです。
例えば、ダムの水がギリギリいっぱいになっていれば、通常のように水門を開いてそのたまり過ぎた水を流すにしても、やはり勢いづいた強力な流れとなるので下流のものを押し流し破壊する危険が出てくるし、時には水門自体が破壊されてしまう危険も伴うのと同じことといえるでしょう。
通常は、よほど弱い自我を持っているか、また大きな問題を抱えない限り、水門を開けたり閉じたりには自動制御装置のようなものが働きます。簡単なときには、友人に愚痴を聞いてもらうだけで解消する場合もあるし、お酒を飲んでちょっと羽目を外すくらいでさっぱりする場合もあります。気持ちよいこと、楽しいことをやっている中で自然に適度に解放、解消しているようです。
このような一般的なレベルから始まって、ストレスやその他の心的エネルギーの溜まり具合の程度によっては次第にそのような時間が長く必要になったり、より強い刺激を求めたりしなければならなくなるし、またこの辺りから社会適応、不適応が問題にもなってくるのです。
以上までに説明してきたところは日常目覚めている時に生起する解放・調整作用でしたが、次には夜睡眠に入ってからの調整作用を見ていきます。
深く眠ることは心身の健康にとって基礎とも言える大切なものです。「良く寝たな」と思える日は心のゆとりもあり調子がよいわけです。これは確実に眠っている間に調子が良くなるための何かがあった証拠でもあります。やすらいで心身ともにリラックスして深く眠っていれば、その間にそれぞれの役割を背負った各治療部隊が、緩んでせき止めるもののない心身の通路の中を楽にスムースに動き回りながら様々な調整作業を進めてくれているのです。
次に詳しく述べますが睡眠中に見る夢にその一端が伺えるのです。
様々な「我を忘れ・枠をゆるめる」状態のなかで究極なのは催眠ではなくて睡眠でしょう。当然眠っている時は日常での時より、ずっと我を忘れている以上に忘れています。というかほとんどなくなっています。この時、自然治癒力は誰にもじゃまされずに働くのです。そして時にそれらの働きの諸相が睡眠中でも微かに残っている自我意識に、かい間「夢を見た」というかたちで残り、目覚めてからそれを思い出せたりするわけです。
夢は心の健康にとって非常に重要な役割を果たしていそうなのですが、夢の良い所は眠っている間にやってくれるので、日常でのそれのように“行動化”しなくて済みます。この点かなり安全な解放、調整方法ではないでしょうか。夢の中でなら時には死んで生まれ変われるという便利さもあります。
総合失調症治療の第一人者である、中井久夫氏はその著書『最終講義・分裂病私見』の中で、「夢は人間の日々の自己治療作業である」とか「心の排水路である」と述べています。また同著で「分裂病者が回復期の初期には眠りが訪れると共に悪夢を見る」とか「幻覚が、一、二日夢に入ると同時に昼間の幻覚が弱くなって消えてしまう」とも述べています。
中井氏の言うところを先に述べた心の流れのイメージと絡めて連想すると、総合失調症者の場合、ダムの水がいっぱいとなり、その水が川の流れ以外の所へ漏れ出して行くのと同じように、極度の強いストレス、そのエネルギーが幻覚や妄想となって現実に漏れ出てくるように思えます。
極端な例ですが、職場で頭に来ることがあったりしても言い返したり出来ない自己主張の苦手なある男性は「夜寝ている時かなりの頻度で寝言を言い、それも強い口調で怒鳴ったりしている、と家族によく言われるのです」と言っていました。彼の場合、夢の内容は別にして昼間のストレスが直ぐにその日の夜の夢に出現しているのは確実でしょう。
私自身の体験ですが、昔セルフコントロール法的な訓練法を工夫していた頃、ヨーガとリラックス法を行った後で、眠りに入った二、三十分後くらいにお決まりのように夢で目覚めることがありました。その夢は通常の時の夢より一段とリアルで強烈で、まさに自己解放が行われているぞ、とでも言うような、例えば、ベッドの上ででんぐり返ったり、どこまでも沈み込んでいったり、また時には指先から放電しているような夢だったりしたのです。
そしてあまりにリアルなせいで目覚めるのですが、その時なかなか取れなかった偏頭痛が少し軽くなってる気がしたり、何んだかさっぱりした感じがするような時もありました。以前ほど心身のリラクレーションに夢中になっていない最近でも、ヨーガをやって身体をほぐしたり、自分で頭や足のマッサージをじっくりと行ったりして寝た後に、同様な通常よりずっとリアルな夢で目覚めることがあります。
カラーパンクチャーという、ペンライトの先に、とがったきれいな色付のガラスをはめ込みそれを人体のツボのようなところに当て、体に光を通す珍しい治療法があるのですが、それを体験した人の中には掃除など、一定の共通したところのある夢を見る人がかなりの頻度でいるようです。
私も一度それを体験した夜に意味深い夢を見ましたが、その夢には渓谷の気持ちよい流れの場面がありました。またある女性はやはりカラーパンクチャーを体験した夜、流れ星が空の四方に飛び散るような気持ちの良い夢を見たと言っていました。
また、はじめてカウンセリングと催眠を体験した夜に、自分の周りいっぱいにゴキブリが迫ってきた恐怖に「助けて」と叫んだら、仙人が登場してトンネルを造ってくれると、ゴキブリ二、三匹残した後は全てそちらに去って行った。という夢を見た女性もいます。
これらの夢はまだうまく言い切れませんが、何か共通した「解放、解消するような動き」とでもいえるようなところがあるように思います。確実に考えられることは、心身がリラックスすることで脳(心)の何らかの働きが活性化されて、通常よりリアルな夢になるのではないかという点です。そしてそれは今まで見てきたように心の調整作業や解放作用の働きと見ることができます。
そこには先に述べた、日常での解放作用の時と同様に強いエネルギーの働きがあり、時には夢の中でも少し残っている自我意識を強く圧倒するものであったりもします。受け入れがたいがために抑圧し続けたものが、まとまりを持って解放されようとしているのですから、夢の中でそれは非常に否定的な恐ろしいものに見えてもくるのです。
夢内容の意味、解釈などについては主張できるだけの持ち合わせはないので、詳しくは踏み込みませんが、やはり夢はとても大切なものなので少し付け加えます。
夢では本当に怖いものは怖かったり、気持ち悪いものや受け入れがたいものが嫌な感じで登場したりもします。でも、前節の小文字の解説部分で、夢にイニシエーション的な内容が出現することがある、と述べましたが、また時には夢の中で宗教的な体験をして癒されたり、強く支えてくれるものが出現する場合があります。・・・・これらは自我意識の方が問題に正面から向き合い取り組み、真摯に悩んだ末に登場するもののようです・・・・
しかしたとえそのような典型的な夢でなくとも夢内容によっては、自然に不思議に、私たちをとらえてはなさないものがあるし、なぜかとても意味深く大切に思える場合もあります。
このように時に夢自体が強く訴えかけてくるというところがあるからこそ、古代から夢占いや夢判断、そして現代では夢解釈・夢分析などがあるのでしょう。おもしろいことに特に夢分析として夢を扱うのでなくても、カウンセリングの中で自然に夢のことが話題にのぼることがしばしばあります。
夢解釈などをしなくとも、夢をただ見ただけで、私たちは思いの外、夢に強い影響を受けているのです。
今回はどうすればよりよく“やすらげる”か、より深く“リラックス”出来るか、その方法については詳しく述べてこなかったので、そのことに興味を持つ方に簡単なご案内をします。
当相談室ではカウンセリングや催眠療法、フォーカシング、箱庭療法、その他幾つかの心理技法を用いてクライエントに心理的援助を行っています。また、その他に自分で自宅でもできる技法に興味のある方には、自己暗示法や自律訓練法、イメージトレーニング、リラックス体操などを試してもらったりもしています。これらの心理技法や心身リラックス法はそのどれもがより深いリラクゼーションを目指しているといえます。
けれども、何も心理技法やまた瞑想、ヨーガなどの修行方法でなければ深いリラクレーションに入れないわけではありません。そのようなものより、信頼のおける友人や家族の人に気持ちを分かってもらったり、または自然の中に遊んだり、趣味に夢中になったり、ペットとつき合ったり、などなど、日常で自然にやすらぎ、深いリラックスに入る方がもっとその人に必要であったり、またその人の状態にピッタリくる場合もあります。
自分にあったリラックスタイムやその方法を見つけるには、興味を持ったらまず試してみる。そして自分に合っているかどうかの目安として、『気持ちよい、特に後味が良い』とか『おもしろい』というように、からだが喜んでいる感じを大切にして選んでいくことをお勧めします。
このあたりのことをより詳しく述べているお薦めの本があるので紹介します。神田橋條治氏の『精神科養成のコツ』岩崎学術出版社。この本は精神科に通院したりカウンセリングに通ったりしていて、でも何か自分でも良くなるために出来ることがないかと思っている方に役立つように作られています。
